1-2 銀髪赤目の二人

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「⋯⋯行ったか」

 背の高い茂みに身を潜め、ラフマンは頭上を飛び去っていく爆撃機の影を見送った。どうやら攻撃目標を見失ったらしく、機影は遠ざかっていく。

 緊張の糸が切れた瞬間、全身を重い疲労が覆い、ラフマンはその場に倒れ込んだ。視線の先、膝に乗せたままの少女が、微かな寝息を立てて眠っている。 

 ──ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。

 ラフマンは跳ねるようにして少女から離れ、草むらに転がす。少女はぴくりとも動かず、まるで死人のように眠っている。

(バケモノ⋯⋯)

 思わず息を呑む。正体不明の『何か』を、助けてしまった。

 なぜあのとき、反射的に腕に抱えて逃げたのか。命の危機にあったとはいえ、今になって思えば、自分の行動が信じられなかった。

 そのとき──。

 茂みの奥が揺れた。気配。兵士が一人、草を分けて現れた。平たいキャップ帽、泥だらけの軍服。仲間だった。

「⋯⋯!」

 安堵が胸をかすめた瞬間、兵士はラフマンを見るなり舌打ちした。

「生き延びやがったか、この落ちこぼれ。さっきのでくたばってりゃ良かったのによ」

 心が縮む。悔しさも、言い返す勇気もない。ただ俯いてやり過ごすしかなかった。

 その兵士の後ろから、次々と他の仲間たちが現れた。草の隙間からラフマンと少女を見て、顔をしかめる者もいた。

 一人の兵士が、双眼鏡を眼鏡に添えたまましゃがみこみ、少女を見つめた。周りの兵士は黒髪だが、彼の髪だけ銀色で絹のように艷やかな質感だった。双眼鏡を持つ両手には、泥だらけの布手袋がはめられている。

 ラフマンは銀髪の彼を見た。華奢な身体に鶯色の制服を纏っている。平たい制帽には、ヤシの木を象った徽章が冷たく輝く。赤い襟章からは金色の三つ編みの飾緒が三本、右肩章にかけて垂れ下がっている。か細い腕を通した袖には、金の刺繍が施された可憐な赤い袖章がある。ボロキレのような野戦服たちに混じるその将校は、異質な存在感を放っていた。

 将校の隣に、中隊長がいた。ラフマンたちと同じ泥と垢にまみれた野戦服を纏う彼──アリフ中隊長は、顎ひげを撫でながら言った。

「小屋にいた子か」

「はい」 
 
「二人とも、無事でよかった」

 ラフマンは仲間のひとり、腕を押さえて震えている負傷兵──スティーブに目を向けた。そして、無意識に足元の少女に視線を落とす。

(⋯⋯試してみるか)

 あのとき、自分の傷を癒したあの血が、本物なら──間違いなく、少女はバケモノだ。

 ラフマンは歩兵銃から銃剣を引き抜き、少女の腕に刃先を当てた。

「おい、ラフマン二等兵、何をしている!」

 隊長の声が鋭く飛ぶ。だがラフマンは無視した。

(たのむ⋯⋯祟らないでくれ)

 心の中でそう祈りながら、ほんの少しだけ刃先を押し当てる。

 ぷつり、と透き通る肌に血がにじむ。落ちてきた血を、そっと銃剣に塗りつけた。ラフマンは顔を上げ、スティーブを呼ぶ。

「スティーブ、怪我した腕を出せ」

「は? なんだよ急に」

「信じられねぇかもしれないが、この血を垂らせば傷が治る⋯⋯らしいんだ。この女の子が血を俺の腹の傷に垂らしたら、」

 怪訝な顔をする彼の腕を、ラフマンは強引に引き寄せた。そして、銃剣の先から血を一滴、スティーブの裂けた腕の上に落とす。

 ──その瞬間。 

 傷口の縁が蠢き、じわじわと、塞がっていく。

「ひゃあああっ!」

 スティーブが奇声を上げてひっくり返る。叫び声をあげる暇もなかった。沈黙があたりを支配する。

 兵士たちは、見開いた目でスティーブの腕と、少女を交互に見た。

「今の、見たか⋯⋯?」

「血が⋯⋯触れた瞬間に、傷が⋯⋯」

「ありえねぇ、何で⋯⋯?」

 銀髪の将校がスティーブの塞がっていく傷口に双眼鏡を近づけ、ぶつぶつと呟く。
 
「皮下組織蘇生速度⋯⋯角質層、〇・〇〇五秒、顆粒層、〇・〇〇三秒、有棘層、〇・〇〇七秒、基底層、〇・〇〇九秒⋯⋯早い⋯⋯早すぎます⋯⋯」

 彼だけは一切動揺せず、冷静に呟き続ける。その声は感嘆でも驚愕でもない、あくまで数字や現象を読み上げるだけの、冷静な観察者の口調だった。

 中隊長が無言でラフマンの隣に膝をつき、切り傷だらけの腕を差し出した。

「ラフマン二等兵、もう一度だ」

「了解」

 ラフマンは黙って銃剣の血を一滴、隊長の傷口に垂らす。滲んでいた血が止まり、裂けた皮膚が、まるで時間を巻き戻すように閉じていった。

 中隊長はその様子を無言で見つめ、完治した腕をじっと撫でた。

「⋯⋯ふむ」

「銀髪のこいつが自分の腹に血を垂らしたら、傷が治りました。そしたら、こいつは眠ったのです⋯⋯」

 将校が少女のほうへ双眼鏡を向け、棒読みでぶつぶつと呟き出す。

「対象、徐波睡眠移行中⋯⋯」

 将校は、ラフマンのほうへレンズを向けた。顔ではなく、再生した傷口のほうへ。

「ラフマン二等兵の新規細胞蘇生時間逆算⋯⋯対象の覚醒状態から入眠時間の差⋯⋯証言、一致」

 ラフマンはすっかり将校のほうへ気を取られ、別の意味で肌を粟立たせていた。──さっきから何を言っているんだこいつは。

 中隊長は天を仰いだ。目を閉じ、何かを秤にかけるような間が流れる。やがて小さく頷き、周囲の兵士たちを見渡した。

「この血の性質が何なのかは分からん。だが、状況を見ろ」

 隊長は淡々とした口調で続ける。

「我が軍の戦艦、空母は開戦初期に敵の航空大兵力によって壊滅し、制空権を完全に掌握された。海路と補給線はとうに断たれ、兵站はもはや機能していない。
各諸島の防衛軍は孤立状態に置かれ、飢餓と病に苦しむばかりだ。弾薬も薬も食料も、底を尽きた。水もろくにない。こんなものは、生き延びられる戦場じゃない」

 中隊長は少女に視線を落とす。ラフマンもつられて見た。草の上に横たわるその小さな体は、相変わらず静かに眠っている。 

「だがこの娘は役に立つかもしれん」

 中隊長のその一言に、ラフマンの心臓が跳ねた。

「つまり、この娘を、医薬品代わりに使うと?」 

 中隊長は何も言わない。ただラフマンを見た。その目に迷いはなかった。

(⋯⋯やめろ)

 喉元まで出かけた言葉を、ラフマンは押し殺す。胸の奥で何かが軋む。祟られる、そんな本能的な恐怖が、全身を締め付ける。

「ラフマン二等兵、娘を運べ」

「は、はぁ⋯⋯」

 濁した返事をした瞬間、周囲の兵士たちから冷笑が漏れた。

「突撃は遅い、狙撃もできねぇ。敵一人倒せない落ちこぼれには、化け物の世話がちょうどいいさ」

 ラフマンの手が、自然と震えた。それでも命令には逆らえない。手を伸ばし、少女の体を慎重に抱き上げる。

「りょ、了解」

 中隊長が「出発」と号令をかけると、兵隊たちは立ち上がった。中隊長は後ろを振り返り、みんなを労う。

「みんな疲労困憊だろうが、挟撃作戦優先だ。もう少しだ、頑張れ」

 中隊長が歩き出すと、兵隊たちは二列に整列して歩き出した。ラフマンも少女を抱きかかえながら進む。茂みを出ると、再び残状が目に飛び込んできた。

 原型を止めない肉片と内臓が細切れになって草地に飛び散り、手足がない、内臓の飛び出た重傷者が呻きながらその上を這っている。

 衛生兵が重傷者を運ぼうと列から飛び出したが、中隊長が「やめろ」と止めた。衛生兵が戸惑ったような表情で重傷者を地に下ろす。

 中隊長は冷淡な声で言った。

「重傷者は捨てていけ」

 ラフマンは重い鉛のようなものが胸を軋ませるのを感じた。物資が枯渇している今、重傷者は捨てていくのが部隊の常識になっていた。

 一人の兵士が疑問を投げかける。

「娘の血を使わないのですか?」

「⋯⋯節約する。見たところ小さな子供だ。もし血を使いすぎて失血死したら、どうする? 救える負傷兵も救えない」

 節約? 完全にバケモノを医薬品にあつかいするつもりだ。冗談じゃない。

 喉奥から反論が突き上げたが、中隊長の決定だからどうすることもできないと、ラフマンは必死に引っ込める。なぜ得体の知れないものを堂々と医薬品扱いできるのか。戦場の感覚で、使えるものは何でも使おうという精神か。

 対してラフマンは、再生した真っ白な腹に走る痒みとも気持ち悪さとも似つかぬ生理的嫌悪感に悶絶していた。

 腹の皮膚は、治ったはずなのにむず痒い。まるで見えない虫が内側を這い回っているみたいで、我慢できずに爪を立てて掻きむしる。

(やめろ⋯⋯祟られる! やめろ! んなわけわからない気持ち悪いものを負傷兵に使うな!)

 止められた衛生兵は地を這う重傷者と小隊長を交互に見てから、列に戻ろうとする。彼のその足を、這いつくばる重傷者が必死の表情で掴む。

「頼む、置いて行かないで⋯⋯!」

 衛生兵は重傷者の手を振り解き、罪悪感を滲ませた声で謝罪する。

「隊長命令だ。悪いな」

 衛生兵が列に戻ると、小隊長は再び歩き出す。兵隊たちは重傷者をいないもののように一瞥もくれず付いてゆく。そして反対側の森の中へ入っていった。

 ラフマンの脳裏に、重傷者が衛生兵の足を掴む光景がずっと焼き付いて離れなかった。 

『頼む、置いて行かないで⋯⋯!』

 もしあいつのそばにバケモノがいれば、結果は違っていたかもしれない。あいつが生きて、自分は死ぬ運命だっただろう。

(役立たずの俺のほうが、死ぬべきだったのに)

 生き延びてよかったと、素直に喜べなかった。

 葉のざわめく音で、ウタリは目を覚ました。うっすら瞼を開くと、淡白い月の光が目の奥を差してぼんやりしていた意識を刺激する。

「ウタリ、寝てた?」

 視界がはっきりしてくると、頭上で揺らめく絡み合った黒い線のような枝々の隙間から覗く月が見えた。

 そして、ふと気づく。草地の空はこんなに狭くない。

 だんだんと違和感を覚え、ウタリは周囲を見渡した。

「あれ?」

 周囲には、木立の影が目を凝らさないと見えないほど濃厚な闇が立ち込めていた。

(ここ、小屋のとこと違う) 

 全身がざわついて落ち着かなくなり、ウタリは何も見えない闇の中に視線を巡らせながら「どこ? ここどこ?」と繰り返し呟く。

「お、起きたぞ⋯⋯気をつけろ」

 誰かの声が聞こえて、ウタリは声のしたほうを見た。枝の隙間から降り注ぐ月溜まりの中に、腹の壊れたあのお兄さんと、ウンチ臭いおじさんがいた。二人は怯えたような表情でウタリを見つめている。

「あなたたちは、さっきの緑人間ね」

 誰かが先に口を開く。声のしたほうを見ると、一人の緑人間が離れたところからこちらを見ていた。

「お前は⋯⋯ま、魔女、か?」

 誰かの声は小刻みに震えていた。

「魔女?」

 魔女。村人から聞いたお話では、魔女は魔法を使う怖い女の人だった。しかしウタリは魔法なんか使えない。

「ウタリ魔女じゃないよ?」

 問いかけてきた緑人間は顔をきゅっと強張らせて、身を少し引いてから続ける。なぜそんなに自分を怖がるのか、とウタリは眉をひそめた。

「じ、じゃあ⋯⋯何、だよ? 妖怪か?」

「妖怪って何?」

 緑人間は不思議そうに目をしばたかせる。

「ウタリはね、動物や村人の怪我や病気を血で治すお医者さんごっこをしているの」

 先程から緑人間の言う質問が全然よくわからないので、ウタリは彼らのことを訊き返す。 

「あなたたちこそ、誰なの?」

 緑人間の隣にいる、顎髭の濃いおじさんが答える。

「私たちは、兵隊さんだよ」 

「兵隊って何?」

「兵隊さんというのは、戦う人たちのことだ」 

 戦う人、という言葉を何度か頭の中で繰り返すうちに、ふとある光景が思い出された。

「戦う人⋯⋯? うーん、もしかしたら、見たことあるかも。体が銀色の殻に包まれてて、長い槍を持って、赤い布をはためかせてた人たち。鷹の絵が描かれてたような気がする。でも、それって夢だったかも⋯⋯」

 おじさんは不思議そうに視線を上に向け、顎髭を指でもしゃもしゃしながら言った。

「⋯⋯それ、まるっきり昔の兵隊だな。甲冑と槍と、鷹の絵が描かれた赤い旗を持った兵隊。教本で見たことがある。騎士か⋯⋯? 凄く昔の兵隊だな」

 二人の口から出た「昔」という言葉には身に覚えがあった。村人たちが昔話を話す時は、必ず「昔々、あるところに──」から始める。しかし「昔」、と言われても頭に「むかし」という言葉が浮かぶだけで、感覚ではよくわからない。

(昔って、何? わかんない)

 ますます頭が混乱してきて、昔についてこれ以上聞いてもわけがわからなくなりそうで、ウタリは話を変えた。

「あなたたちは、何と戦っているの?」

 おじさんが顔をこちらに向けて答える。

「海の向こうからこの島に攻めてきた敵とだよ」 

「敵?」

 敵。悪いことをする奴ら、いじめる奴らのことだ。

 村人が話してくれた、この島の誰もが知る物語をウタリは思い出す。

 ──海の向こうの鬼の島から、悪い鬼たちが島へやってきました。

 ──鬼は赤色や青色の身体をしていて、牙が生えていて、村人たちを捕まえて食べてしまいました。そして、村人たちの大切な宝物を盗んでいってしまいました。

 ──島を守る勇者たちが、鬼の首を取り、島には平和が戻りました。

 兵隊たちが戦っているのは、島の村人たちを食べて宝物を盗む、悪い鬼なのかもしれない。

 勇者たちが前にやっつけたのに、またこりずに鬼たちは島へやって来たのだ。なんて悪いやつだろう。

「おじさんたちは、鬼と戦ってこの島を守ってくれているのね」

「鬼?」

「知らない人はいない、海の向こうから来る鬼よ。村人たちの宝物を盗む、あの悪い鬼!」

「まぁ、確かに⋯⋯海の向こうから来た鬼、だな。たくさんの村人たちが、鬼たちのせいで酷い目にあった」

「やっぱりそうなのね! 鬼たちが島を襲っているのね!」

 自分の予想が当たって納得し、ウタリは手を叩く。

 この島は今、宝物を奪いに来た鬼たちに襲われているんだ。そしてヘイタイという戦う人たちの勇者チームが、一生懸命鬼退治してくれているのだ。

 おじさんは続ける。

「島を守れと偉い人たちから命じられて、私たちは戦っているんだ。正式名称『ラグドル海商連邦軍属セルク島防衛軍』。通称『セルク島防衛軍』として戦う私たちはラグドル兵、ではなく『島兵』と呼ばれてる」

(せるくとうぼーえーぐん? しまへー?)

 ウタリはわけがわからなくてぐちゃぐちゃになる頭を抱えて、「ふぅん⋯⋯そうなの」と溜め息混じりに言った。

 一つわかったのは、おじさんたちが『島兵』と呼ばれていることだけ。

 らぎゅどるせるくとーなんとか、が鬼退治勇者チームの名前らしい。

 静寂が訪れる。ウタリはだんだん退屈になってきた。

「おじさん、小屋に帰りたいわ」

 おじさんは首を横に振った。

「戻るわけにはいかない」

 ウタリは軽く地団駄を踏んだ。 

「えー、何でよ?」

「それに、君の暮らしていた小屋はバラバラになってしまったよ」

 ウタリは思い出す。そういえば空がぴかっと光って、小屋がなくなってしまったことを。石が砕けてなくなっちゃったことを。 

(ウタリの小屋、全部壊れちゃった。空飛ぶ鬼に壊されちゃった)

 村人たちからもらったプレゼントも、全部。抱きしめていないと、不安で寂しくてわんわん泣いちゃうくらい、プレゼントは大切なものだったのに。胸を締め付けられるような感じがして、喉が勝手にウッウッと鳴り出す。鼻の奥がツンときて、込み上げる涙を拭いながらウタリは鬼に訴える。

「プレゼント⋯⋯返してよぉ⋯⋯」

 ウタリはお尻に硬い何かが当たっているのを感じて、それを拾い上げた。ツルツルで、まあるい石だった。

 お絵描きしよう、と思い立つ。

 村人たちが来なくて寂しい時、胸がぎゅうぎゅうする時、お絵描きをするとホッとするような感じになる。

 刃物がないのでウタリは腕を噛んで皮膚を千切り、流れ出た血を指ですくって石にお絵描きしはじめた。声を上げずにしくしく泣きながら、表面を指でなぞり赤い線を描いていく。

 ウタリが治したお兄さんの顔を描いて、でも目と鼻と口がめちゃくちゃな線になって、おかしな顔で思わず笑ってしまう。

 島兵たちがざわめき出した。 

「お、おい、何か始めたぞ」

「気をつけろ」

 誰かの鋭い声が闇の中に響いた。 

「総員、警戒態勢」

 闇の中でかちゃり、かちゃりと硬い物が触れ合う音がした。

 おじさんが慌てたようにみんなに言った。

「こら! 誰だ勝手に命令した奴は!」

 ウタリは顔を上げて、闇の中を見回す。いつの間にか暗い森の中が少し見えるようになっていて、木々の間に兵隊たちの姿が見えた。数十人はいる。みんなウタリのほうを見て、長い木の棒をこちらに向けていた。

 島兵たちがどうしたのかわからず、ウタリは首を傾げる。

「みんなどうしたの? ウタリ、お絵描きするだけよ?」

 闇の中で何かがきらりと光るとともに、澄んだ声が張り詰めた空気の中に響く。

「腕から血が流れています。ほうっておけば眠りにつきますよ」  

 光ったところを見ると、丸いガラスが二つくっついた筒を持つ、変な島兵がいた。彼は筒のガラス二枚をこちらに向けている。

(あのガラス、何だろ?⋯⋯あれ?)

 よく見るとその島兵の全身が、闇の中でぼんやりと泡白く光っていた。まるで月の光みたいだ。他の島兵は黒い影だけなのに。

(しまへーさんが、ひかってる?)

 光る島兵は筒を下ろした。野生動物のように、赤く光る二つの目がウタリを見つめる。ウタリはぎょっとして跳びはねた。

(め⋯⋯め、目が赤い!)

 平べったい帽子から少しはみ出ている髪の毛は、銀色だ。ウタリと同じ、銀色の髪。

(あのしまへーさん⋯⋯私と、同じ色?)

 ウタリとそっくりな、銀髪赤目の兵隊さん。自分と同じ姿の人は、今まで見たことがない。

 光る赤い目に、意識が吸い込まれそうになって、ウタリは我を忘れてお兄さんと見つめ合った。

 そっくりなお兄さんは、棒読みみたいな声で言った。

「馬鹿ですか、あなたがたは。あれが魔女だと本気で思っておられるのですか? 阿呆の極みですね。脳味噌が百年前の旧品ですか? それとも原始人の時で止まっておられます? とにかく、魔法なんて使ってきませんよ。警戒を解いても何ら問題はありません。全く、これだから田舎者は⋯⋯」

 お兄さんはウタリと話していたおじさんのそばに来て、また棒読みでべらべらとまくしたてる。

「アリフ隊長殿、あなたも魔女が怖いので?」

「は? 何が⋯⋯」

「あなたが恐怖しているのが見えるのですよ、私には。アリフ中隊長殿が臆病者だから、我が部隊は夜な夜な魔女に怯える赤ん坊揃いなのです。何卒ご自重ください」

 アリフチュウタイチョウドノと呼ばれたおじさんは気圧されたように俯き、黙り込んでしまう。

 感情が全くこもっていない声なのに、なんか人を馬鹿にしている感じでとげとげしい。馬鹿ですかとか、アホーとか。

(何言ってるかあんまりわかんないけど、くち、すっごくわるそうだね?)

 口が悪すぎることにびっくりしたけど、でもお兄さんが悪口を言ってから、ぴりぴりした空気がすぐさまとろけたような感じがすることにも、ウタリは驚く。

 月明かりに照らされる島兵たちの顔が、みんなお兄さんのほうに向いている。ウタリには、彼らがお父さんに怒られてしゅんとした子供たちみたいに見えた。

 さっきの悪口で、一瞬で島兵さんたちの怖がる気持ちがぴゅっと消えた、ような──

「クソメガネめ」

「ファキチ、すっこんでろ」

 クソメガネとファキチとは、お兄さんのことだろうか。

 さっきまでウタリのことをあんなに怖がっていたみんなが、突然気が変わったようにプンスカしている。

(あの悪口、魔法?)

 お兄さんがウタリのほうを見た。さっきよりもそばに来たので、顔も姿もよく見えた。

 彼の顔をよく見ると、クソメガネという名前の通り、確かに眼鏡をかけていた。絵本に出てくる『メガネ博士』もつけていた。目の悪い人がつけるガラスらしい。お兄さんは目がよくないのだろうか。

 すかさず、ウタリは疑問を投げかける。

「ねぇ、クソメガネのお兄さん。どうして、私と一緒の色なの?」

 クソメガネのお兄さんの赤い目が、こちらを向く。

 夜闇に佇む野生動物のような光る目に見つめられ、ウタリは狙われた小動物のごとくぎゅっと身を縮こめる。

「⋯⋯?」

 よく見ると、お兄さんはお面を被っていた。切れ長の虚ろで眠たげな目縁、長いまつ毛、光で白く見える陶器の表面のような頬、目鼻立ちがあまりにも綺麗に整いすぎている。  

 作り物の顔だった。生身ではない。人形の顔のようなお面が、肌に皺一つなくぴったりくっついている。
 
 夜の森に現れた妖精のような、凛とした佇まいに気圧されながらウタリは訊いた。

「お兄さん、何でお面被ってるの?」

 ふと、お兄さんの眼鏡越しの切れ長の目が細くなる。ウタリは背筋をぴんと伸ばして木に背中を押し当てた。木にくっついた背中が、氷のようにひんやりしていた。

(目が動いた! お面じゃない。あれ、顔なの!?)

 信じられない。あれが顔なら、お兄さんは人形だ。そうとしか思えないほど、お兄さんの顔は不気味なぐらい人間からかけ離れた美しさだった。
  
 全身の肌が泡立ち、水風呂に浸かったようにぞわっと寒気が走る。

(お人形だわ。動くお人形⋯⋯!) 

 あの顔の裏側は空洞で、真っ暗の空っぽなのかもしれない。

 とても怖いのに、それでも目がお兄さんに吸い寄せられるように動かせない。

 お兄さんにじっと見ていると徐々に眠気が襲ってきて、ウタリの頭がふらつく。

 傷口から血を流してしまったせいで、再生が始まってしまったのだ。

 目が覚めたら、島兵たちに食べられちゃっているかもしれない。骨にされたら、ずっと目を覚まさなくなってお絵描きできなくなってしまう。

(そんなの、嫌⋯⋯)

 眠気に抗おうとしたが意識は薄れていき、ウタリは眠りに落ちた。

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