カイラス岳の斜面は高さ二十メートルもある大木が聳え立ち、昼でも薄闇が立ち込めている。薄明の今は、木々の輪郭がかろうじて見える程度の暗さである。
視界が悪く、風の流れすら読めず、音も吸い込まれるこの森では、敵が三メートル先にいても気づかないだろう。
遊撃兵たちは、麓から三十メートル付近の斜面に生い茂る背の高い茂みに身を潜めていた。隣にいる仲間と一言も話さず、息を殺し、いずれ訪れる敵の気配を下の斜面に感じ続ける。
遊撃兵の一人、ジョン二等兵は壁のように分厚い草むらに背を預けながら、胸を打ち付ける心臓の爆音を聞いていた。
外は壕より遥かに涼しいというのに、冷や汗が毛穴とい毛穴から噴き出す。
背中を遠くから何者かに見張られているような気配が背筋にまとわりつき、ハッと息を吐いて嫌な感覚を払う。隣の奴が、音を出すなと言わんばかりにジョンの口を塞いできた。
(畜生、遊撃隊になんか志願するんじゃなかった──)
ジョンは唇にぎゅっと前歯を立てて、今更後悔する。
遊撃隊長の憎たらしい笑顔が脳裏に浮かぶ。
『遊撃隊に志願した者には特別に、缶詰十個を贈与する。まぁ、受け取れるのは生き延びてからだがな!』
遊撃区で島兵一人に支給される缶詰は一日一個だけ。ジャングルでは木の実や虫を捕まえて食べていたのでかろうじて空腹は満たせていたが、遊撃区に編成されて以降は缶詰以外何も食べさせてもらえなくなった。
空腹と戦うことに限界を迎えた島兵たちにとって、遊撃隊志願は願ってもいない食事のチャンスであった。
特に、勝手に壕を抜け出し斜面へ出歩き、ツルイチゴを盗むほど毎日腹ペコなジョンにとっては──。
(缶詰め十個のために手を上げたんだろ、俺。気張れ、気張れ)
緊張で腹が鳴り、無意識のうちにツルイチゴでパンパンに膨らんだポケットに手を突っ込む。いけねぇと咄嗟に我に帰る。今食ったら、勝手に外に出たとバレて処刑される。缶詰十個はおあずけだ。
死ぬより、死んで缶詰十個を食えないことのほうが何より恐ろしい。
(三十メートルってことは、百メートル上付近の壕穴には帰れねぇってか)
真っ暗闇で敵に追われる中、とても百メートル上までは登れそうにない。
ジョンは舌打ちして、やり場のない怒りを脳裏の隊長にぶつける。
(最初から遊撃隊じゃなくて決死隊っていいやがれ、クソったれ!)
『敵、斜面登ってきました。皆さん、気を引き締めてください』
突然頭に響いた『声』にジョンは叫びそうになり、咄嗟にイチゴ汁で真っ赤な手で口を押さえる。
やはり何度聞いても慣れないものだ。
観測班所属ノリ一等兵のテレパシーは。
『こら、ジョン二等兵。また盗み食いか!』
ノリには、呟き声で返事をすれば伝わる。
「緊張で腹が減ったのであります」
『ったく、この食いしん坊!』
確かにジョンは『腹ペコジョン』と仲間にそう呼ばれている。
『とにかく戦闘中にイチゴ摘みに行くなよ? 絶対だぞ!』
やるかどうかはその時次第っすね、と返すのをジョンは躊躇う。
ノリのテレパシーのことを打ち明けられたのは、今から三時間前のことだ。
遊撃隊の待機する壕に来たノリは、特にこれといった特徴のないどこにでもいるような少年だった。年齢は十八歳と聞く。ジョンより三個上だ。
英雄「神眼のファディル」様の右腕と呼ばれる人物にしてはあまりにも地味すぎる、とジョンは拍子抜けする。
ノリが頭を下げ、にこりと笑ったその時。
『はじめまして、よろしくお願いします』
脳の奥から声が響く。ジョンを含む全員が悲鳴を上げ、その場に尻もちをついた。
ノリは申し訳なさそうに後ろ首をかいて軽く謝罪する。
『あっちゃ、すみませんね、びっくりさせちゃいましたね』
理解不能の現象に戦慄し、歯をガタガタ鳴らしながらジョンは訊く。
『い、い、今のはノ、ノリ一等兵殿の⋯⋯声⋯⋯?』
『うんうん、そうです』
異常な状況の中、一人平然としている遊撃隊長が答える。
『テレパシー、というやつだ』
『テレ、パ⋯⋯?』
ノリが頷きながら微笑む。
『君たちの頭の中に、直接僕の声を伝えたのさ』
ジョンたちが腰を抜かして無言を貫く中、遊撃隊長がノリについて語り出した。その時のことは、頭が混乱するあまり断片的にしか覚えていない。
まず、ノリが霊能力者であること。
霊感で遮蔽物や暗闇に隠れた敵を感知できること。
勿論、ノリの霊能力は上層部には秘密である。
この話だけでは胡散臭いが、実際テレパシーを受けたのだから信じるほかなかった。
たった一分間でファンタジーが現実のものであることを受け入れなければならなくなった遊撃隊は、テレパシーに心底怯えながら戦闘配置に付いた。
(ファンタジーって本当にあったんかい)
掌のイチゴ汁を舐めながらジョンは思い馳せる。
セルク島に住む人々、特に田舎者は神だの精霊だの魔女だのが当たり前のように存在すると信じているらしい。昔の人が本当に異形の存在やノリのような霊能力者と出会ったからこそ、そのような信仰が生まれたのだろう。
ファンタジーを当たり前のように受け入れている自分が不思議で、信仰深い他人の思考が脳に入り込んでいるかのような違和感を覚える。
(で、ノリ一等兵殿がファンタジーパワーで暗闇に隠れた敵の位置を教えてくれると)
木々の輪郭が目を凝らせばようやく見える暗さでは、敵影などほとんど見えはしない。そこでノリの霊能力による感知と伝達に頼るしかない。
なぜ神眼のファディルは戦闘に参加しないのか。ファディルはカラリヤ湿原で、試射なしで一発敵陣に命中させる奇跡を起こしたというから、彼もノリのように不思議な能力があるはずだ。お留守番する意味が分からない。
(ま、それはさておき)
ジョンは膝に置いた歩兵銃を握りしめ、遊撃隊長の事前説明を思い出す。
(敵が至近距離まで接近したら、撃つ⋯⋯)
暗闇では姿が見えない上、斜面上からは射線がズレる。敵をギリギリまで接近させてから、射殺。死んだ敵から携帯糧食を奪い取る。最後の項目「糧食略奪」はジョンが勝手に付け加えたものだ。
戦闘の内容を何度も頭の中で繰り返す。
手榴弾は投げ返される可能性があるし、破片が味方に刺さる。爆音でこちらの位置がバレる。絶対に使ってはいけない。遊撃隊長がそう言っていたのをジョンは思い出す。
(射殺って、どこ撃てばいいんだか)
頭をワンショットできる自信はない。
(じゃあ、心臓。心臓ってどこにあるっけ)
左胸に鼓動を感じるが、正確な位置は不明。
左寄りの胸。だが、それを確実に狙って撃てる精度なんて、自分にあるのか?
(もし撃てなかったら、銃剣でお腹ぶっ刺しゃいいんか?)
仲間から聞いた話によれば、銃剣突撃は正確に相手の内臓を貫かなければならないという。骨を避け、ぶっすりと突き刺す。玄人技だ。一発内臓に走る激痛で即死させられればいいが、外せば敵に反撃される。銃剣訓練など全く受けてないジョンにできるはずもない。
よって至近距離での射殺しか有効な戦法はない。
(ま、とりあえず内臓にぶち込めば、戦闘不能っしょ)
問題は距離だ。暗闇では敵が何メートル先にいるのかわからない。そこはノリが何とかしてくれるのだろうか。
『敵先鋒隊、接近』
接近だけでは何メートル近づいたのかわからない。ジョンはため息混じりに訊く。
「具体的にどれぐらい接近っすか」
『えっと⋯⋯』
「えっとじゃわからんす」
使えねー、と言いそうになった口を咄嗟に閉じる。
『斜面登ってきた。緩いから手を地面に付かなくても歩ける感じ』
はぐらかされてジョンは唇に歯を突き立てる。
「だからどれぐらい接近なんすかって」
頼りねー、と舌打ちを堪える。
闇夜の中、ノリの小さな声だけが頼りだ。敵の気配など、自分には何も見えない。
「つか、本当に見えてんすか」
『魂が見える。熱じゃなくて光。青白くて⋯⋯クラゲみたいにヒラヒラしてる』
「ヒラヒラ?」
ジョンは敵の身体の真ん中に浮かぶ青白い光⋯⋯魂の光を想像する。
魂に向けて撃てば、死ぬのだろうか。
『心臓辺りに、魂の核みたいなのがある。そこを狙えば一発心臓を貫ける。たぶん』
「たぶん?」
ノリの曖昧な説明に、胃を締め上げられるような苛立ちがこみ上げる。空腹を訴える胃がねじ切れそうだ。
『暗闇の中でぼんやり光る魂を狙ってくれ』
「俺に魂とか見えねぇっすよ」
『みんなに魂の光を見えるようにするから大丈夫』
ノリの声が響き続け痺れる頭を抱え、ジョンは愚痴垂れる。
「また俺らの頭、魔改造するんすか」
『魔改造って、酷いなおい』
その時。
『────敵、二合目付近に到達』
突然棒読みの無機質な声が頭の中に響き、ジョンはぎょっとする。
『班長、僕の手を握らないで。集中できない』
班長。ということは観測班長、ファディル少尉の声か。英雄『神眼のファディル』だ。背筋に痺れが走り、自然と背が伸びる。
『以前あなたが私の手を握った際、自然環境が固定されたのでこれがあなたと私の接続方法では、と今思い立ったのです』
『あっそう、覚えてたんだね』
『あなたが曖昧な指示を出すので私が代わりにやります』
『はいはい』
頭の中で二人の会話が勝手に流れ続け、脳を締め付けられるような頭痛が走りジョンは顔を歪める。
ファディルが資料を読み上げるように告げる。
『敵先鋒、現在、斜面の傾斜五度、標高七メートル地点を上昇中。移動速度時速〇・五キロ』
遊撃兵たちが小さく声を上げるのが聞こえた。
「な、なな、なんで分かるんすか?」
『えっと、接続したことで班長は僕の透視してる映像から敵の位置や速度がわかるみたいだよ。映像、見せるね』
ジョンの脳内に映像が鮮やかに浮かび上がる。
粗の多い白黒映像に、疎らな木立が映る。木々の隙間をゆらりゆらりと幽霊のように動く人影がいくつかあった。敵だ。歩兵銃を持っている。胸の真ん中で青白い光──魂が輝いていた。
(敵だ⋯⋯来てる⋯⋯)
『ノリ、映像の解析度が足りません。演算精度が落ちています』
『悪い、これ以上は無理だよ』
男同士仲良く手を繋ぐ気持ち悪い接続方法で、ノリの透視映像から敵の進軍速度を分析したらしい。
「なんすかそれ、あなたがた通信機か何かっすか?」
『あはは、そうかも』
静寂が訪れ、ぐぅぅぅ、とジョンの腹が鳴る。
ジョンはまだ掴み慣れていない歩兵銃に指の力を込めた。腕が微かに震えている。
(死体があれば、缶詰いらねぇんだけどな)
口の中に残るツルイチゴの甘酸っぱい味が、だんだん鉄の味に変わっていくような感覚を覚える。
ああ、あの味だ。直接鉄を舐めったような、不快な刺激臭のする味。ジョンは舌の先を歯で擦って、蘇る嫌な味を拭う。
味が断片的に記憶を蘇らせる。浮かび上がってきたのは、草むらの中に転がる仲間の死体。四肢をナタかオノで切断され、開腹された肋骨が剥き出しの腹からは腸が全て無くなっている。
死因は戦死でもなく餓死でもない。空腹に耐えかねた味方が彼の四肢と腸を食材として持ち去ったのだ。
いわゆる、カニバリズムというやつだ。ジョンははじめてそれを見た時、恐怖よりも深い納得感が腹に落ちるのを感じた。──仕方ない。そしていつかは、自分も食べられる番だと。
諦めや悟りに近い覚悟を胸にジョンは死体に近づき、何もない腹の中を覗き込む。鮮やかな深紅の血の水槽に、もぎたてほやほやの腸の欠片が微かに浮かんでいる。自然と喉が鳴り、連鎖するように胃が激しい収縮音を立てる。
血がイチゴジュースに見えてきた。人間の体液であるという感覚は薄く、抵抗感は沸いてこない。毎日毎日雑草と昆虫ばかり食ってきたせいか、身体は肉を求めてそれを肉とわからせないようにジョンを麻痺させているのか。
喉の渇きが込み上げ、ジョンは思わず血の水槽に顔を浸して飲んだ。突然、強烈な生臭さと鉄臭さにえずく。だが、それでも身体は構わずにまずい水を体内に取り込もうとした。
肺が悲鳴を上げ、ジョンは顔を上げて口の中の血を吐き出した。
──死ぬほどまずい。
胸が痙攣するほど激しく咳き込む。だがしばらくすると。
──でも飲みたい。
食欲が理性を掻き消してくる。結局、またジョンは血の水槽に顔を浸した。
記憶はそこで途切れ、ジョンは意を決した。
死んで缶詰め食えなくなるぐらいなら、敵一匹仕留めて食ってやろう。血も、内臓も。
身体が震え上がり、ジョンは歯を食いしばる。恐怖ではない、これは武者震いだとなんとなく思う。飢えた蛮族が獲物を捕らえようとしているようなのと近い何かだ。
敵の肉を裂いて、喉に流し込んでやろう。
(よし、決めた)
──来い、肉。
ファディルの声がした。
『敵、三合目の標高十メートル地点に到達』
──あと残り二十メートル。
緊張が皮膚を這い出し、ジョンはたまらずノリに訊いた。
「ノリ一等兵殿、魔法とか使えないんすか? 魔法で敵を一掃できねぇんすか?」
テレパシー能力が使えるなら魔法だって使えるはずだ、と妄想してしまう。
『それっぽいものは使えるけど』
「何で使わないんすか」
『代償がいるから。大量の供物が』
「山でイチゴたくさん採ってくりゃよかったじゃないっすか」
『違う。代償は死体だ。少なくとも百人分はいる』
つまり百人を、小隊規模の遊撃隊で処理しなければ魔法で無双できるのか。
(なら余計、気張らねぇと)
──敵を食うためにも。
『敵、四合目の標高二十メートル地点に到達。残り十メートル。まだ銃は構えないでください。うっかり撃ったら全て台無しです』
ファディルの声に焦りや突き刺す色はなく、淡々としていて心地よさすら感じる。
『敵、四合目の標高二十五メートル地点に到達。まもなく交戦ラインに達します。銃を構えてください』
ジョンは固唾を飲んで歩兵銃を暗闇の向こうへ向けた。心臓が鎖骨を突き破ろうとするかのごとく激しく脈打っていた。口からイチゴ臭い息が絶え間なく繰り返し飛び出る。
胃が捻れるように痛みだし、絞り出された胃酸が胸を焼く。死を前にした身体が拒絶反応を示していた。人を食ってもなお生きたがる貪欲なこの肉体にジョンは内心失笑する。
ジョンはニィッと獣のように歯を剥き出しにしてみせた。
(もう缶詰め、いらねぇや)
ファディルとノリがごにょごにょ話し合う声が脳内に響く。ノリの『視界に映す? まぁ、きつそうだけどやってみるよ』という声が一瞬聞こえた。
『敵、標高二十七メートル地点に到達。これよりあなたがたの視界に敵の姿を映します』
「へ? 敵の姿を?」
『ノリ、視界捕捉を』
『はいはい』
暗闇の中に白い霧のような淡い発光体がいくつも浮かび上がる。幽霊のように見えるそれは人の形をしていた。──敵だ。
隣の各人の息を呑む音がした。
『交戦ラインまで、残り二メートル』
ふぅ、と息を吐いてジョンは引き金にかけた指を外した。あの白いモヤモヤが自分の目の前ギリギリに来るまでは、絶対に引き金を引けない。
モヤモヤの中に青い光が見えた。あれが、先ほど見ていた魂。
近づくにつれて敵の姿がはっきりと見えてきた。頭にヘルメットを被り歩兵銃を両手に抱えている。ジョンたちと身なりは何ら変わりない。
『交戦ラインまで、残り一メートル』
ジョンは引き金に再び指をかけた。銃口を目の前のモヤモヤに向ける。敵は暗闇から狙われていると知らない様子で、左右を見回しながらゆっくり歩いてくる。
(肉さん、こーちら)
『交戦ラインまで、残り〇・五メートル』
一陣の風が木々の上を吹き渡り、葉をざわめかせる。
静まった後、敵の草を掻き分ける音だけが葉擦れの中に混じった。
彼らの放つ音が既に近い、イコール自分の死も近い。
目の前のモヤモヤをジョンは見据えた。頭、一撃で潰さなければ。
『十秒前、九、八、七⋯⋯』
ぐぅ、とジョンの腹が鳴る。
──嗚呼、こんな時になってもまだ腹ペコだなんて。
『六、五、四、三、二、一⋯⋯撃て』
棒読みの射撃命令が出た途端、乾いた銃声が暗闇にこだまし、悲鳴が空気を裂く。
火薬の臭いが鼻を突く。ジョンは引き金を引いた。だがモヤモヤは固まって動いていない。
──外した。
肩に焼けるような痛みが走り、ジョンは歯を食いしばる。反動に肩をやられた。
軍事訓練などせずに、いきなり召集されてその日に戦場へ放り込まれた。銃の正確な持ち方なんて習ってない。当然反動を逃がすやり方も知らない。
『全員外しましたね。では、もう一度。十、九、八⋯⋯』
二度目の射撃命令。ジョンは片目をつむり、目の前に突っ立つモヤモヤを撃った。モヤモヤが金切り声を上げて仰け反り、草むらに倒れる音がした。
ジョンは歩兵銃を背中に回し、腰嚢に手を入れ、マルチツールナイフを手にした。
後は生きたまま腹を割いてランチタイム。
揺れる草むらの間から、獣のような呻き声が聞こえてくる。その声を頼りにジョンは草を掻き分け、泡白い光を放つ敵に接近する。
草の隙間から光が漏れ、血の溢れ出す腹部を押さえて悶える敵がいた。腹を飛び跳ねるように痙攣させ、口から血を噴き出している。ジョンは躊躇わず敵に飛びかかって馬乗りになり、ざくっと頸動脈をナイフで突き刺す。
光の中に鮮血の飛沫が舞い、敵の白く光る身体を赤く染めていく。のた打ち回っていた敵が大人しくなるのを確認し、ジョンは頸動脈に噛み付いた。
──じゅるじゅるじゅる⋯⋯。
まるで血を吸うコウモリのように傷口を噛み、血を啜る。口に広がる鉄の味にえずきながらも、喉の渇きに耐えられない身体はそれを胃の中へ押し込んでいく。
口を離し、咳き込み、口の中の血をペッペッと出してジョンは顔を上げた。
──味には慣れない。
──でも飲みたい。
パン、パンパンと連なる乾いた銃声と悲鳴が森の静寂の中にこだまする。
『敵、一名掃討』
たぶんジョンがやった敵のことだろう。みんなが空振りする中、自分が最初に一匹を仕留められたことにジョンはにやついた。
(俺、調理の才能あるのかも)
「さて、次は」
ジョンはナイフを握り、中腰になった。木の陰に隠れて淡白い光が突っ立っている。ファディルとノリから授かった神眼のおかげで、暗闇の中でも食材が見える。
ジョンは姿勢を維持したまま草むらを駆け抜け、木に隠れている敵の喉笛を掻き切った。彼が血飛沫を上げて倒れると、ジョンはまた傷口に噛み付いて血を胃袋に流し込む。
血に塗れた顔を拭うことなく、ジョンは舌舐めずりする。もう、舌に染み付いたイチゴの味は消えた。残念だ。
『敵、二名掃討』
ファディルの報告に続いてノリの叱責が飛んでくる。
『ジョン二等兵、勝手な行動はよせ』
『ノリ、ジョン二等兵は二名掃討しました。彼にはこのやり方で掃討して頂きます』
『はいはい、結果オーライ』
二人から特別に承諾してもらったジョンは、ナイフの血を舐めて呟く。
「──魚の血抜きは、エラ蓋を開けて血管を切るのが基本です」