3-5 精霊の声

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 ウタリは一歩後ろへ下がり、がっくりと腰を抜かす。 

「兵隊さんが⋯⋯食べられてる⋯⋯」

 美味しいのかな、とぼんやりそう思う。

 黒い霧は広い場所の遥か向こうまで続いていて、一体何人が食べられているのかわからない。

「おい、何だこれ⋯⋯」

「蝿が⋯⋯」

 背後から島兵たちがやってきて、ウタリには目もくれず絶句したような声を上げる。

「どこの部隊だ?」

「さぁ⋯⋯わかんねぇ」

 ウタリの横に誰かが通り過ぎる。頭上を見上げ、平たい帽子から見える銀髪が目に入った時、ウタリは咄嗟に頭を伏せて隠れた。

 蝿の羽音に混じってファディルの声が聞こえた。

「昼の月から座標を見るに⋯⋯追撃部隊の挟撃通過ルートの中間地点に近い場所ですね⋯⋯おそらく、追撃部隊です。開豁地に誘い込まれたのでしょう」

「追撃部隊!?」

「そんなっ! やっぱり、壊滅かよ⋯⋯」

 仲間たちがやられてしまったんだ。

 それで、みんながっかりしているんだ。

 なんとなくウタリはそう察する。

 ファディルは蝿の群れをじっと見つめるように立ちながら、言った。

「偵察機もなく、ろくな地図もない中、道なきジャングルをひたすら強行軍させられていたのです。迷って当然。敵にとって、誘導など容易だったでしょう」

 その声音は、どこか哀れむようでもあった。怒っているわけでも、誰かを責めているわけでもなさそうだった。

 ファディルは俯いた。

「かくいう私も星を読み、あなたがたを伏兵の待つ地獄へ誘い込んでしまった身なのですが」

 その一言で、周囲の動揺がほんの少し和らぐのをウタリは肌で感じた。

「ファディル少尉殿には何の責任もねぇっすよ」

「湿原に伏兵がいるなんて、誰もわからなかったのですから」

「気に病まんでください」

 ファディルは暫く黙り込んでから、口を開く。

「お気遣い、ありがとうございます」

 ウタリはファディルの背中をこっそり見上げた。その背中が、どこか悲しげに見える。

 さっきのファディルの言葉は、みんなを気遣うような優しい声に感じられた。鬼なら、壊れたみんなのことを馬鹿にして傷つけるはず。

「それに、我々は班長の観測による砲撃で生き延びたのです」

「ファディル少尉殿のおかげで形勢逆転できたのですよ」

「あなたは我々の英雄です」

 突如、拍手が沸き起こる。

「神眼のファディル!」

 一人に続いてみんなが『神眼のファディル!』と連呼し、蝿の羽音を掻き消す。  

 だがファディルは興味なさげに、突き放すように言った。

「感謝をするのならノリにお願いします。あの砲撃の精度は九九パーセント、ノリのおかげで出来たことです」

「まぁたご謙遜を」

「砲兵隊長殿もアリフ中隊長殿も、ファディル少尉殿が奇跡を起こしたと称賛されておりました」

 ファディルは否定するように、首を横に振る。

「いいえ、ノリが奇跡を起こしました。これは事実です。ご理解頂けず誠に遺憾です」

 誠に遺憾ですの語尾が重く、鋭い声色だった。怒っているような、悲しんでいるような、どちらとも受け取れる印象だ。

 ファディルは踵を返し、ウタリの横を通って歩き出した。ヒッと小さく悲鳴を上げて、ウタリは茂みに身を隠す。

 通りすがりに、ファディルは吐き捨てるように言った。

「まったく、砲兵隊長といい、どいつもこいつもわからずやばかりです⋯⋯」

 その言葉は、褒められた人のものではなかった。

「ファディル! ファディル!」

 ファディルの名を呼ぶ声が繰り返される。拍手もまだ続いていた。

 ファディルは遠くへ去っていった。ただ静かに歩き続けるその背が、どこかひどく寂しそうだった。

 入れ替わりでノリが来て、去るファディルを見送る。

「てめぇが逃げたせいで殴られた俺のことも労ってもらいてぇな、クソ魔女」

 すぐそばでラフマンの声がして、ウタリは振り返った。木に背を預けて座るラフマンが、疲れ切った表情で地に視線を落としている。

「ラフマン⋯⋯」

 ラフマンは片目をつむり、唇の片方をぎゅっと結んでいた。片頬に走る痛みを堪えているようだった。

 ウタリが勝手に逃げたせいで、ラフマンが殴られてしまった。ラフマンも鬼の仲間だけれど、彼も勝手にウタリのおんぶ係にされて、逃げたことで仲間にいじめられたことにウタリは胸が痛む。

「ごめんねラフマン。お口にウタリの血、塗ってあげるね」

 ラフマンの顔がくしゃくしゃに歪んで、眉が吊り上がり、肩も震え出した。歯を剥き出しにして噛み締め、ガチガチ音が鳴らす。彼が今までにないぐらい怒っているのを察して、ウタリは身を引く。

「ご、ごめ⋯⋯」

「ああ⋯⋯あの時、お前を拾わなければこんなことには⋯⋯っ」

 ラフマンがウタリを拾わなかったら。ウタリが勝手に遠くまで連れて行かれることも、ラフマンがおんぶ係にされてヘトヘトになることもなかっただろう。

「ごめんね、ラフマン⋯⋯」

 その時──。

 遠くから甲高い鳥の鳴き声が響いて、ウタリは広場の方を見た。一匹の鳥が蝿の群れの上を飛んでいき、ぽとりと糞を落す。

『新しい森が生まれるよ』

 風の音に混じって、鈴の鳴るようなあどけない声がこだました。声は人間の子供そのものなのに、空気を揺るがすような異常な響き方をしていた。

『死体が肥料になるよ』

『痩せた土地に緑が芽生えるよ』

『やったね、やったね』

 声の主はどこにもいない。でも、ウタリには声の正体がわかる。

「精霊の声だわ⋯⋯」

 小屋にいた時、森の向こうからよく子供の声が聞こえていた。

 それは森に住まう、姿の見えない精霊の声。

 ノリがウタリに耳打ちする。

「ウタリちゃんにも、聞こえる?」

「え⋯⋯ノリにも聞こえるの? 精霊の声」

 当然、というようにノリは無言で頷いた。

「死体が肥料になるって、言ってたね」

 その一言で、ノリにも聞こえていたんだとウタリは確信し、ぞわっと毛穴が開くのを感じた。

「うん! ウタリもそう聞こえた!」

 ノリは独り納得したように呟く。

「やっぱり、君にも聞こえるんだね。うん、そうだよな」

「何で、何でノリにも聞こえるの?」

 村の人たちは、あの声が聞こえないと言っていた。ウタリだけの秘密だった。
なのにノリには、聞こえる。わかる。ちょっぴり悔しい。

 ノリは穏やかに微笑む。

「僕は、見えない者たちとお話できるんだ」

「お話? ウタリ、できないよ。聞こえるだけだもん」

 ノリは頷く。

「そうだね。あいつらは、供物をくれるものにしか関わろうとしないから」

 ウタリは、言葉に詰まった。それは、自分の特別を奪われた気分だった。誰も踏み込めない秘密の基地に、勝手にノリが入り込んできたような。胸の奥が、きゅうっと痛んだ。

 それにしても、なぜノリには精霊の声が聞こえるのだろう。

「ノリは、一体誰なの?」

「僕は──」

 ノリが答えようとした時、また精霊たちの歌うような、楽しげな声が響いた。

『栄養たっぷりの血と肉が、大地に溶けていくよ』

『木がたくさん生えてくるね』

『たのしみ、たのしみ』

 とっても、無邪気な声。

 精霊たちはみんな、喜んでいる。

(壊れた人たちが、肥料?)

 ウタリはふと、村人の言葉を思い出す。

 森で死んだ動物の身体は土に還り、草木のご飯になると──

 それならここで壊れた島兵たちも、やがて土に溶けて、森の一部になるのだろうか。

 その栄養から、新しい芽が、生まれてくるのだろうか。

 ウタリは気づいた。

 あの声たちは、壊れた人間たちから新しい命が芽吹くことを、祝福している。

 この何もない土地が、いつか緑に覆われる日を、楽しみにしているのだ。

 ああ、そうか。ウタリは小さく呟いた。

「そうか、そうだったのね」

 ウタリの胸に、ふつふつと喜びが湧きあがってきた。

 あの声たちと、もっと仲良くなりたい。もっとお話したい。その衝動が、こらえきれずに口から溢れた。

「よかったね、兵隊さんたちがたくさん壊れて! 血とお肉が地面に染みて、嬉しいね、また芽が出るね! 兵隊さんたち、たくさんバラバラになって、血を出してくれて、ありがとう!」

 ──ざくりっ。

 首筋で皮膚の裂ける音がした。冷たくて硬いものがじわりと入り込む不快感が、喉元を這いまわる。

「ん? なぁに?」

 視線を下ろすと、銀色の刃が自分の首に突き刺さっていた。平たい金属の面に血が伝い、赤い線が垂れていく。

 その色が、なんだか土の中の根っこみたいで──

「兵隊さんたちがたくさん壊れてよかった、だと?」

 吐き捨てるような声が、耳元を冷たく撫でた。 

「死者に対して、よくそんなことが言えるもんだな」

 ラフマンだ。抑え込んだ怒りが、その一語一語の奥で煮えたぎっている。

「ラフマン二等兵! な、なっ、何やってるっ!」

 ノリの叫び声。その直後、ずぶりと刃が引き抜かれ、ウタリの喉の奥に熱い液体が流れ込む。

「っ、ごほ、ごほっ!」

 喉に入り込んだ血が、咳とともに飛び散る。

 ノリがウタリの身体を抱きとめ、首の傷口を手で押さえてくれた。

「ラフマン二等兵、何してるの、何で⋯⋯」

 ウタリはノリの胸に抱かれながら、肩越しにゆっくりと振り返った。

 ――ラフマンの目が、こちらを睨んでいた。

 その黒い瞳に、もはや理性はなかった。腹の底から湧き上がる、純粋な怒りをたぎらせている。人の死を「嬉しい」と言った相手を、どうしても赦せないと言いたげな顔だった。

 ラフマンにとってウタリの発言は、これまで幾度となく押し込めてきた怒りの蓋を、いとも簡単にこじ開ける一言だった。

 ──よかったね、兵隊さんたちがたくさん壊れて! 血とお肉が地面に染みて、嬉しいね、また芽が出るね! 兵隊さんたち、たくさんバラバラになって、血を出してくれて、ありがとう!

 死者への冒涜だった。

 死者を肥料扱いし、死体から木が生えたら嬉しい、楽しいとほざく。その言葉は、ラフマンにとって最も触れてはいけない部分を逆なでした。

 瞬間的な怒りの沸騰は首に銃剣を突き刺したことで収まったが、胸には煮えたぎるような熱が疼いている。ノリの腕の中で怯えている魔女を見た時、もう一度突き刺してやりたいという嗜虐心に駆られた。

 ずっと心の奥底に沈めてきた魔女へ仇討ちをしたいという気持ちが、暴力的な衝動となって胸の奥から湧いてくる。

 相手が幼児の姿をしていようが関係ない。魔女は、魔女なのだから。

 ラフマンはもう一度銃剣を構えた。

「ノリ一等兵、どいてください」

 ノリはウタリを庇うように、ぎゅっと抱きしめて首を横に振る。

「違う、違うよラフマン二等兵。この子は、幼いなりに森の摂理を理解したんだ。死体が腐って土に栄養を与え、鳥の落とした種がその土から芽を出す。そして、森が広がっていく。この年でそれを理解できるなんて、なんて鋭い感受性の持ち主だろう。凄いと思わないか?」

 隣からガサガサと音が聞こえて、防止の上に硬い何かが当たった。

「保護義務違反で処刑致します」 

 ファディルの無感情で、それでいて棘のように突き刺さるような声が頭上から降ってきて、身体が冷えていくのを感じた。

 頭に当てられているのは、銃口。ラフマンは我に返り、構えていた銃剣をそっと引っ込める。

 ノリが止めるように叫ぶ。

「班長やめろ! 私刑は禁止だ!」

「ノリ、医薬品損壊は大量出血を引き起こし部隊存続の妨げになります。何卒ご了承ください」

 ラフマンは怒りを押し殺して言い返す。

「お言葉ですがファディル少尉殿、あなたもウタリを銃剣で刺そうとしたではありませんか」

 ファディルは目を合わせずに答える。

「私がしたのは、医薬品の悲鳴が集音マイク並びに伏兵に届かぬよう声帯を封じるための応急処置です。あなたは怒り任せに医薬品を損壊させようとした。違いますか?」

 論破だった。 反論の余地もないほどに理詰めで押し潰され、ラフマンは口を閉ざす。

 周囲の島兵たちの睨む目がラフマンに集中し、全身を針で刺されるような感覚に囚われる。

 穏やかなノリも、他人にいつも嫌味ばかり垂れるファディルも、島兵たちも、完全にウタリの味方になってしまった。

 ウタリを拒絶しているのは、自分だけ。そして拒絶し続けるたび、こうして制裁を食らうのだろう。

 まさに、四面楚歌だ。

 ラフマンは唇を噛みしめてうずくまる。喉の奥から、悔しさと情けなさの混じった呻き声が漏れた。

「畜生⋯⋯」

 そんなラフマンに追い討ちを駆けるように、ノリは言った。

「それとラフマン二等兵⋯⋯ウタリちゃんは、魔女ではないよ」

 確信のこもった声色に、ラフマンは少し目を上げた。

「ウタリちゃん、精霊の声が聞こえるって言ったよね?」

「⋯⋯はい」

「精霊の声はね、純粋で、清らかな波長を放つ者ではないと決して聞こえないよ。それに、精霊は魔女のような邪気を放つ者が近寄れば、すぐ逃げちゃう」

 あまりにも平然と「精霊」について語るノリを、ラフマンは呆然と見つめた。

 そういえばノリは、風もないのに激しく揺れる花の前で呪文を唱えていた。

 イチゴが一瞬で干からびて砕けるのも見た。

 地熱なんてないのに、火を起こせた。

 胸をある予感が過る。

(ノリは──)

 ラフマンは息を呑む。

(白魔術師か?)

 魔女のような邪悪な存在と違い、精霊や神の力を用いて怪我人や病人を治癒したり、憑依した悪霊や魔物を払う善良な魔法使いを「白魔術師」と呼ぶ。ノリは間違いなく、それの類いだろう。

「⋯⋯では、ウタリは、一体何者だというのです」

「それは、後でゆっくり話そう」

 張り詰めた沈黙が流れる。しばらくして──ノリはゆっくりと立ち上がり、広場のほうを見た。

「誰かがこっちを見ている」

 ノリには、常人には見えないものが見えるのだろう。ラフマンは尋ねた。

「死者の霊、ですか?」

「いや、生きている人間だ」

「! せ、生存者ですか?」

「違う。怪我はしていないし、凄く元気だ。だから、わかる。物凄い、憎悪だ。生霊が、分散しているくらいの」

 ノリは寒がるように腕を擦った。 

「彼らは、僕たちの方を見ている」

 ◆ ◆ ◆

 ノリの視線の遥か遠く──開豁地を挟んだその茂みに、三人の偵察兵は潜んでいた。

 彼らの目は憎しみにたぎり、復讐心に燃えている。

 ──よくも、仲間を。

 一人目の脳裏には、カラリヤ湿原の丘陵陣地が砕け、斜面を転がっていった戦友の姿。必死に手を伸ばしても、その指先は届かなかった。

 二人目は、砲撃で原型を留めぬ肉片と化した弟の残骸を、泣きじゃくりながら抱え、壊れた階段を降りていった記憶が離れない。

 三人目は、敗北を悟った初老の指揮官が「総員、林へ逃げろ」と叫び、敵地に残って部下を逃がした背中を、いまも瞼に焼きつけている。

 彼らは正規の偵察兵ではない。部隊が壊滅し、敗走兵となった歩兵たちが、命がけで敵の目前に迫っていた。

 開豁地の向こう、敵部隊の行軍開始を見届けると、三人は静かに退いた。

 カラリヤ湿原の敗北後、集音マイクの拾った音声を解析する傍聴班は散り散りになり、マイクは使えない。だが敵どもの通った獣道、踏まれた枝、足跡をたどれば、追跡は可能だ。

 後は──復讐するのみ。

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