4-5 一か八かの賭け

前話(4-4)目次次話(4-6)

 仮眠室から出てきたノリが、ファディルの肩に手を置く。

「やっちゃったね、班長。悪いけど、今回の件は僕でも庇い切れないよ?」 

 医薬品のことは秘匿であるため、観測兵たちに聞こえないようファディルはノリに耳打ちする。

「すでに人肉を埋め込んで回復させておきました。なら、多少の内臓を抜いても再生できますし、採血は可能です。何ら問題はありません」

 ノリも耳打ちで返してきた。

「まず、秘匿である壕へ勝手に入ったこと。衛生隊の管理下にあるウタリちゃんに危害を加えたことが問題なの。わかるかい?」

 実に非効率的論理である。ファディルは呆れながら返した。

「持ち場を離れたこと、秘匿壕への侵入が違反であったのは存じております。しかしあの実験は、戦局を有利にするためのものです。医薬品への被害は最小限ですし、結果として兵の命が多く救われます。非常に有意義な違反です」

 ノリは溜め息をついて、俯いた。

「ルールより結果と効率性絶対優先だもんな。そりゃあ通用せんわな」

「その通りです」

「断言するなよ、大馬鹿者」

 ノリは両手で頭を抱えた。

「とにかく、墓穴掘ったね。食べかけの肉を残したせいでバレたね。ちゃんと肉を片付けていれば、ラフマン二等兵が警告書を衛生隊長に出させることもしなかった」 

「医薬品は人肉で回復可能な資源です。再生可能であれば、医薬品の肉を食べることに何の問題もありません。ラフマン二等兵がたかが食事にあんなにも怯え、憤る理由はわかりかねます」

 ファディルは医薬品の血で濡れた片手を見下ろす。

 胃の収縮を感知。──できれば、もう一度医薬品の肉を味わいたかった。

 ノリは頭を抱えたまま首を横に振り、ファディルの頰をつねる。

「前にも言ったよね? 人間は、同じ姿をしているものを殺すのを本能的に恐れるって。それと一緒で、以前同じ姿をしていたものを食べるのも嫌なんだよ。食べるっていうのは、かつて同胞だったものを自分の体に取り込むって行為だからな」

 牛から切り取った肉を加工すれば、ただの肉料理である。それは医薬品の肉であっても変わりないはずだ。

「元と同じ姿をしていないのに食べるのが嫌とは、理解しかねます」

「見た目じゃない。『同胞の一部であったものを食べる』って事実が、人間には無理なんだ。本能で拒否する」

「⋯⋯わかりません」

「とにかく人間は人肉を食べないし、食べたいとも思わないし、食べる奴を心底嫌うんだよ。まぁ、想像するの難しいだろうけどさ」

 どんな動物のものであろうと、肉は肉に過ぎない。なぜ人間の肉だけにノリもラフマンも過剰反応するのか、ファディルにはさっぱり理解できなかった。

「人間が動物の肉を食べているのと何が違うのです?」

 ノリはファディルの頰を離す。

「ありゃりゃ⋯⋯人肉に関わる倫理学については未学習だったか。そっか。もっと早く、人肉について教育しておけばよかったよ。今度お前のために人肉講座開催するから、待ってな」

 ノリは仮眠室へ戻っていく、寝床に寝転がる。ファディルは横になった彼を見つめながら、ノリの人肉に関する理解不能な話を思い返す。

(久々にノリの発言を理解できませんでしたね。⋯⋯人肉も動物の肉でしょうに)

 ノリの呟き声がした。

「──班長に、人間の理を解くのは至難の業だな」

 伝令兵が警告書を畳んで記録室から出ていき、ファディルはそばに立つ観測兵たちのほうを振り返る。彼らの表情と粒子パターンは「恐怖」「不信」を表していた。不信感は誘導の難易度を上げる精神状態である。

(衛生隊、観測兵、ノリ、誘導不可。驚くほど、不便な状態ですね)

 脳の中の数式や波形が、かつてないほど激しく揺れる。

『献血機関』の変数にノイズがかかり、文字がぶれ、脳内の暗闇に融けていく。

(──完全に不意打ちです)

 何百何千の兵力を回復する理想の装置が、水泡に来そうとしていた。

「おい」 

 イルハムの声がした。声のするほうを見ると、いつの間にか観測兵たちの背後にイルハムが立っていた。

 観測兵たちが振り返った途端、イルハムの眼が紫色に光り、彼らは糸の切れた操り人形のごとくその場に倒れる。

 神眼が咄嗟に彼らを分析する。生体反応粒子『睡眠』──。 

「献血機関開発はやめるのか?」

 イルハムの肩には、はち切れそうなほど膨れ上がった背嚢が担がれていた。布から突き出た筒状の形を見るに、中には恐らく医薬品の血、敵兵たちの人肉の入った瓶が入っている。それを見た途端、崩れかけたファディルの理想がもう一度立ち直り出す。

「イルハム⋯⋯」

 乱れていた数式が粉々になって消えていき、脳内が安定していく。

「別に俺の意思で持ってきたわけじゃないさ。頼まれたんだ」

 頼まれた──きっと『あいつら』という正体不明の連中に。

 脳内に新しい数式が発生し、逆転勝利の結論を弾き出す。

 医薬品の血は、表向きには試験薬と知らされている。採取した血で重傷者たちを治療すれば、なぜ試験薬が大量にあったにも関わらず治療をしなかったのかと衛生隊に批判が向くだろう。

 節約のためだと衛生隊が反論したとしても、負傷兵及び遊撃区の島兵たちはおそらく知ったことではないと憤る可能性がある。節約という名目で生存を断たれるのは、怒りを買う確率が高いからだ。

 衛生隊が治療を怠ったと遊撃区全体に誤解を招き、批判の空気を発生させれば、衛生隊の面子を潰せる。

 計算上、これでヴァレンスの発言権と権威は大幅に減衰し、献血機関の必要性を呑み込ませることができる。彼及びアリフ隊の衛生兵たちを、献血機関運用の作業員に仕立て上げる下準備が整う。

 ファディルはイルハムの持つ背嚢を指差す。

「まずはあなたの持ってきたその肉で第三衛生壕の負傷兵たちを治し、ヴァレンスに献血機関の必要性を訴えます」

 イルハムは虚ろな眼差しで、牙のはみ出た口を綻ばせる。

「⋯⋯そうか」

 ファディルはイルハムを見つめ、眼鏡を押さえる。

「これが最善にして最後のチャンスです。この期を逃せば、献血機関計画は水の泡です」

 一か八か。

 やるしかない。

「⋯⋯ふん。必死だな。前から疑問だったんだが、何でそんなに負傷兵たちを助けたいんだ? 衛生兵でもない部外者のお前が」

 ファディルは頭を抱える。逆転勝利の方法を示す式の中に、調和の数式が混じっていた。

 調和の数式が、アリフ隊長の自決を防止して部隊統制崩壊を防いだ。追撃部隊撃退のために疎林へ導き、作戦を成功させた。この数式に従ったことにより、あらゆる状況が改善されてきた。

 最初は原理不明で不気味なことこの上なかったが、成功が積み重なった今では疑わずに調和の数式に従っていた。

「調和の数式がそうしろと私に訴えかけてくるからです」 

「調和の数式?」

「医薬品を取得してから発生するようになった謎の数式です」

「⋯⋯そうか。負傷兵たちを助けたいわけじゃなくて、その調和の数式とやらがお前にみんなを助けてやれと命じてるんだな?」

「そういうことです」

「もしかして俺をはめた時も?」

 あの時はイルハムをなんとか運び屋に仕立て上げようと躍起になるあまり、数式の読み込みが一部断片的であった。もしかすると、処理し切れなかった数式の中に調和の数式が混じっていたかもしれない。

 ファディルはイルハムを誘導した時の心理演算式の記録を呼び起こす。膨大な数字と記号の中に埋もれるようにして、やはり調和の数式が混在していた。

 そんな、と震える唇から言葉が漏れる。

 気が付かぬうちに、ファディルも調和の数式に誘導されていたのだ。自分の意思でやっていたと思ったことは、自分ではない何かの意図によるものだった。

 背筋を冷たいものが流れていく。

(あの時の私は、私の意思で動いていなかったというのですか?)

 自分の脳を何者かに乗っ取られているような気味悪さに、体温が三度低下する。

「イルハム。あなたに運び屋になってほしいと頼んだあの時も、確かに調和の数式が発生していました。私があなたに過去の話を聞き出そうとする前から、この数式は説得方法を企てていたようです」

 イルハムが掠れた笑い声を上げる。

「お互い、運命に縛られているというわけだ。お前が俺を一方的にはめたわけじゃなかったんだな。⋯⋯少し、ほっとした。じゃ、ヴァレンスのところに行くか」

「そうはさせないよ」

 ノリの声が聞こえた。振り返ると、腕をまっすぐに伸ばして人さし指をこちらに向けるノリがいた。

 指先から、生体反応粒子を高密度に濃縮した青白い光が放たれており、そこから気流が発生し、ノリの髪の毛先をふわふわ浮かせていた。

 感情粒子ではない。明らかに物理的な粒子だ。人体から放てるはずのない高密度のエネルギーを観測し、ファディルは呆然とする。

 計測不能エネルギー体検出。正体不明。

「ノリ⋯⋯」

 ノリはイルハムのほうを見て、彼を睨んだ。

 ノリの瞳は普段の穏やかさを完全に失って、氷のような光をたたえていた。 

「失せろ、屍鬼。班長から離れろ」

 シキ。知らない単語。

 イルハムは軍刀の矛先をノリに向けた。

「精霊術か、それ」

 セイレイジュツ。またも知らない単語。

「僕はヴィシュヌ眷属の精霊の霊力を継ぐ巫女一族の生まれでね。巫女ではないけど、特例で精霊術は使える」

 イルハムが狼狽えたように後退る。

「ヴィシュヌ眷属の精霊、だと⋯⋯」

「そうだよ。その精霊の霊力を至近でくらったら、どうなるかわかるよね?」

 イルハムは両手で軍刀を持ち、構える。その横顔に、汗雫がたくさん浮き出ていた。イルハムの生体反応粒子──恐怖、緊張指数九十五パーセント。

「浴びたいか? 艦砲射撃並みの破壊力を誇る精霊術を」

 ノリの声には、いつもの冗談めいた響きがまるでなかった。空気が凍てつき、張りつめていく。

 イルハムの口がガタガタと震え、牙が音を立てているのをファディルは見た。

 記録室に満ちる粒子の暴風の中に佇み、ファディルは無表情で状況を分析する。

(セイレイジュツ、言語不明。ノリの青白い粒子、原因不明──)

 まさかノリにまで計画を阻止されることになろうとは、予想外だった。

(献血機関をご理解頂けず、誠に残念な限りです)

 止めなければ。たとえノリ相手でも。

 だが、この状況を打開する数式が浮かばない。結論出せ、と何度か念じても「結論︰不可」ばかりが出力される。

 不可、不可、不可、一秒間で三百回の演算処理をしてもそればかり。

(なぜ? このままでは、計画が水の泡になるのですよ?) 

 脳が、ノリを止める計画実行を阻んでいた。

 彼には心の隙間がなく、こちらの思惑を先読みしてくるため、心理誘導さえ効かない。

 解決するための隙がそもそもはじめからないのだ。どうすれば。どうすればいい? 

 ノリの指先から放たれるエネルギー密度増幅は加速し、イルハムは追い詰められたように後退るばかり。

 ノリだけは、どこまでも誘導不能なのだ。どれだけ論理で詰めても、どれだけ他人の膨大な心理パターンを読み込んでも、最初から手札がなかった。

 人を操ることが得意でも、ノリを前に自分は圧倒的に無力だった。

 胸の奥に、重たい鉛玉のようなものが沈み込んでいく。

(──胸部圧縮式。不可避。どうにもできません)

 握り締めた手が、ふと、拳銃に触れた。一秒間に三百回繰り返された演算処理が、ぴたりと止まって結論を出す。

(射殺──) 

 全身が震え上がる。ファディルは拳銃から手を離す。

(できません──ノリに銃口を向けるなど。業務妨害行為に該当します)

 拳銃に弾は一つも入っていない。しかし、それでも銃口を向けた後の予想論は──

 連携力ゼロ。

 連携力、ゼロ──持続期間無制限。

 ノイズ混じりの音声が再生される。

『ははっ、「信頼関係が崩れるから飲み干さないと」って思ってくれたのですわね。このメイドノリ、嬉しゅうございます』

『信頼関係? 業務と一体何の関係が?』

(連携力、イコール信頼関係)

 信頼。信じて頼る事。その関係性を忌みする言葉。

(銃口を向ければ、もう私たちは、お互いを信じて頼ることができないのですか? それは業務にどのような支障を出しますか?)

 だが、殺意に満ちた眼差しのノリにそんなことを訊けるわけもなく。

「ここで引くわけにはいかねぇよ」

 イルハムの声が、数式に満ちて処理落ちしそうな脳に響く。

「やっと贖罪の方法を見つけられたんだから」

 ここで引くわけにはいけない。最優先事項。全数式が一旦リセットされ、空白になった脳内に結論が出される。

(空砲──実行可能)

 空砲を撃てば鼓膜に物凄い衝撃波を食らうが、もし破れても医薬品の血で蘇生させればいい。

(⋯⋯申し訳ありません、ノリ。できれば耳を塞いでください)

 ファディルは拳銃を手に取り、銃口を天井に向ける。ノリが咄嗟に目を閉じ、両耳を塞いで口を開けた。

 パァンッ── 

 引き金を引いた途端、轟音が狭い記録室に響き渡り、衝撃波を表す青白い粒子が吹雪の如く室内を暴れ狂い、ファディルの鼓膜を直撃する。

「あぁぁ⋯⋯っ」

 鈍い呻き声を上げて、ファディルは拳銃を落とし、両耳を押さえる。耳栓をしたように音がこもって聞こえ、キーンと激しい耳鳴りがした。

「うるせぇぞ馬鹿が!」

 イルハムの罵る声が遠くからくぐもって聞こえた時、視界が突然歪み、身体が浮遊し上下感覚がわからなくなる。

 まるで水中を浮遊しているような不思議な身体感覚に、脳内の数式に砂嵐がかかって激しく乱れる。

 ──重力式、崩壊。座標系、判別不能。

 地に倒れ込み、目の前が真っ暗になった。激痛に襲われる無音の両耳を押さえて息を荒げると、突然猛烈な悪臭と薬品の臭いが鼻を突いてファディルはえずいた。

 誰かに無理矢理両手を引き剥がされ、耳穴に指を突っ込まれる。

 ぐちゅぐちゅぐちゅ⋯⋯と耳の奥で粘性の何かが蠢く気色悪い音がした途端、激痛が収まり、聴覚も元に戻る。

 複数人の呻き声が通路の遠くから聞こえてきた。

「ウタリの血で鼓膜治してやったぞ。俺の声、聞こえるか?」

 背後からイルハムの声がした。

「はい、聞こえます」

「ったく無茶しやがって」

 ファディルはイルハムに腕を引っ張られ、よろよろと立ち上がる。

「ノリに直接銃口向けられなかったからって狭い空間で空砲撃つなんてよ。さすが狂人だ」

 ノリに銃口を向けられなかった。信頼関係を損ない、業務妨害になるから。

(ノリの鼓膜は無事でしょうか)

 身体沈着式と身体冷却式が浮かぶ。

「行くぞ。第三衛生壕の負傷兵を治癒して、ヴァレンスの警告書を取り消すんだ」

「ヴァレンス?」

 ファディルは辺りを見渡す。電灯が点滅する狭い通路に、負傷兵たちが通路の脇に所狭しと寝転がっていた。

 記録室でノリとイルハムが対峙し、それを止めようと空砲を撃った途端、視界が歪み、謎の浮遊感覚に襲われた。目の前が真っ暗になり、今、この謎の空間にいる。

(記録室⋯⋯ではない)

 現状を処理できず、脳内が数式にすらならない数字と記号の濁流に呑み込まれていく。

「何が起きたのです? ここは、どこです?」

 脳が現実を受け入れない。目の前の光景が、現実なのか夢なのか、判然としなかった。

「俺ね、ワープできるんだ」

「ワープ⋯⋯?」

 物理学の有名な仮説で、重力を歪ませて筒を作りその中を通過すると瞬時に現在地から遥か遠くへ移動できるというものだ。重力を歪ませるにはとてつもなく莫大な宇宙のエネルギーが必要とされており、実現は不可能だ。

 だが、今のは何だ。衛生壕から遠く離れた観測壕へ、数秒もしないで移動してきた。ファディルは自分の頬をつねり、痛みを感じ、夢ではないと確信し更に脳内が砂嵐に呑み込まれ思考を掻き消していくのを感じた。

 膝から力が抜け、ファディルはその場に倒れ込む。鉄臭く生臭い冷たい水が、頬を冷やして否応なしにこれが現実だと突きつけてくる。

(ワープ⋯⋯あり得ません。しかし⋯⋯)

 非現実が、現実に起きたのだ。

 砂嵐に呑み込まれもはや数字一つすら見えなくなった脳内で、ふと映像が再生された。粒々に塗り潰されるスクリーンの中に映るのは、イルハムの瞬間移動しながら敵兵を切り裂いていく姿──。

 おそらく、あの瞬間移動能力こそがワープだったのだろう。

(瞬間移動⋯⋯私はこの目ではっきりと見た)

 あり得ない。だがあの時確実に見て、そして今実際に体験してしまった。

 砂嵐が轟音を立てて映像を掻き消し、頭蓋骨内部を埋め尽くして激しい目眩を発生させる。

 非科学的な現実を──。

 その単語が浮かんだ途端、自我処理能力が容量限界に達し、ファディルの意識がぷつりと途切れた。

『ファディル──』

 真っ暗闇の中に、丸く膨らんだ二つの眼と、鋭い歯がびっしり並ぶ口が浮かび上がった。

 ヴィシュヌの顔が。

『神の子よ──』

 カラリヤ湿原での戦闘後に聞いたあの幻聴と同じ、凛とした声が響く。

『死にゆく者たちを、生贄の血を用いて救済しなさい。あなたには人々を救いへ導く使命があります』

 ファディルは飛び起き、辺りを見回す。第三衛生壕の通路だった。

(やはり、現実)

 ぐいと肩を持ち上げられ、ファディルはイルハムに立たせられる。

「ワープしてびっくりさせちまったな。ごめんよ」

 砂嵐は収まり、異常なほどの静けさが脳内に満ちている。

 ファディルは俯き、現実を呑み込もうとワープと科学の定義を脳内で再構築する。

(宇宙のエネルギーが必要、というのは人間の偏見。科学が追いついていない面を私が見たに過ぎません)

 無理矢理すぎてうまく呑み込めない定義だが、そうでもしないとまた砂嵐に襲われる。無理矢理定義で演算の乱れを抑え込み、ファディルは重いため息をつく。

 イルハムはぽんぽんとファディルの頭を軽く叩くように撫でる。

「ヴィシュヌもお前に言ってたぞ。ファディル、神の子。死にゆく者たちを、生贄の血を用いて救済しなさい。あなたには人々を救いへ導く使命がありますって」

 刃物で胸の奥を突き刺されるような衝撃が走った。

 ファディルが夢の中で聞いた幻聴を、なぜ一句一字間違えず知っている?

「なぜ、それを」

「俺には聞こえたんだ、ヴィシュヌの声が。あれはお前へのお告げだ」

 きっと寝ている時に幻聴の言葉を自分が呟いていただけだろうとまた『無理矢理』定義し、ファディルは歩き出す。

「とにかく──今から重傷者を治療します」

 ファディルは通路に雑魚寝させられた重傷者たちを見下ろした。手足のない者、片目を蛆虫に集られている者、白目を剥いて痙攣しながら垂れ落ちた内臓を戻そうとしている者⋯⋯。どう見ても助かりそうにない者たちばかりだった。

 だが、医薬品から大量採取した血液を投与すれば、この者たちは全員助かる。

 重傷者たちの虚ろな眼差しが、ファディルに集中する。

 まるで、救いを求めるように。

 死にゆく彼らに、ファディルは告げた。

「今からあなたがたを一人ずつ治療致します」

前話(4-4)目次次話(4-6)

掲示板waveboxMAIL
(感想はこちらへ)

なろう版ハーメルン版

サイトTOP