4-10 献血機関試験運用演習

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 第三衛生壕の片隅には、将校用の特別な病室がある。  

 負傷兵たちの足が切断される治療室の奥、その隅に人ひとり通れるだけの狭い通路がぽっかりと口を開けていた。  

 薄暗い小道の奥には、大人数名が入れるほどの空間が広がっている。そこは、異様な静けさに満ちた場所だった。 中央に据えられた長方形の手術台、その隣で
器具カートが冷たく光っている。天井からは、手術灯が淡白い光を落としていた。 壁際には薬品棚が並んでいるが、物資不足で棚は空っぽだ。

 そこは下士官以下は立ち入りを許されぬ、この特別な空間。そこに献血機関の本体である医薬品が、密かに運び込まれた。

 医薬品は手術台の上に寝かされ、四肢を拘束された。ファディルは医薬品の血を肋骨ペンの先に浸し、スキンマーカー代わりに切開部のマーキングを医薬品の腹に描いていく。食人アフタヌーンティーをした時と同じ形を描き、線の横に切開順を示す番号を割り振る。

 その様子を、手術台の脇に立つヴァレンスと衛生兵たち数名が静かに見守っていた。医薬品は最高機密であるため、ヴァレンスがアリフ隊に属する衛生兵を選んで配置した。

 ヴァレンスが肋骨ペンを指差す。

「その棒は何だ?」

「医薬品から取り出した肋骨です。スキンマーカーがないため、骨で作ったペンと血を代用しております」

 ヴァレンスと衛生兵たちの絶句するような溜め息が響いた。中には、ウェッと気持ち悪そうにえずく者もいた。血肉と骨を見慣れているはずの者が、なぜ肋骨ペンに驚き、嫌そうにするのかファディルにはわからなかった。

 医薬品は喋ることなく、無言で上を向いていた。ぽかんと開いた小さな口からは、舌のない口腔が見えている。医薬品の声が治療室に響かないよう、舌を切除して、再生しないよう瞬間接着剤で固めておいた。

 焼灼、工兵隊から譲り受けたバッテリー液の希硫酸で切除部分を焼いたが、すぐ再生してしまった。焼灼で細胞を壊死させても、再生するようである。

 接着剤であれば化学反応で幹細胞が部分的に死滅、損傷、増殖、再生シグナルを遮断、細胞分裂を停止、再生できなくなると『眼』による観察でわかった。

 声帯は切開して丸めた布を詰め込み発声を阻害、気道確保のみを最低限維持した。舌もなく、声帯も動かせない医薬品は声を出せない。

 ヴァレンスがスキンマーカーの順番を一つずつ数えていく。

「切開順、問題なし。観測兵になる前は医学生だったのか?」

「小さい頃から医者を夢見て、毎日毎日、猛勉強したのですよ」

 ヴァレンスが驚いたように息を呑む。

「独学で?」

「はい⋯⋯」

 ファディルは衛生兵たちを見回した。

「これより、献血機関試験運用演習を始めます」

 ファディルの足元には、負傷兵たちの切断された壊死組織、目玉、摘出した内臓が山盛りにされたバケツが数個置かれていた。

 全て、献血機関に投与する燃料だ。

 ◆ ◆ ◆

 ウタリは自分たちを囲うお医者さんたちとファディルを見上げていた。

 開かれたお腹の中をみんなにいじられて、くすぐったいけれどなぜか声が出ない。笑ってもひゅうひゅうとしか音が出ない。

 以前、ファディルにお腹をいじられた時笑っちゃって、黙っててくださいと叱られた。きっと、うるさいからって口を塞いだのだろう。

(ウタリの血と内臓で、お店屋さんごっこ) 

 お医者さんたちがウタリの血と内臓をお料理して、腹ペコの兵隊さんたちに食べさせる『お店屋さんごっこ』をしようとファディルは言っていた。

 今、お店屋さんがオープン! お料理スタート!

(きっと、またうるさくしちゃったら叱られちゃうから、静かにしてなくちゃ)

 ウタリはお腹の中がぐにゃぐにゃされるたび、くすぐったくて声を出したくなる。でも口から出るのは、ひゅうひゅうという音だけ。

(みんな、ウタリの血と内臓で、ご飯作ってるんだね)

 お店屋さんごっこ。腹ペコの兵隊さんたちが「美味しい」って言ってくれたら嬉しいな、と思いながら、ウタリはお腹を覗いているお医者さんたちの顔を一人一人見つめる。

 一人と目が合う。ウタリは大丈夫? と首をかしげてみる。でもその人は泣きそうな、困ったような顔をして、すぐに目を逸らしてしまう。

(嬉しくないのかな? 楽しくないのかな?)

 みんなのために頑張ってるのに、誰も笑ってくれない。ちょっとだけ、寂しかった。

 ファディルがよくわからない呪文を唱え始める。

「この血管、今再生中です。あと八秒で再生完了します。⋯⋯はい、切開はこのラインで、出血は一・二秒で止まります。⋯⋯出血を確認。今、臓器表面の細胞分裂が始まったので、あと五秒で⋯⋯はい、臓器を元に戻してください」

「一分五秒で血管再生完了」

「細胞の分裂角度に差異あり」

「肝臓、三分六秒で再生完了」

 一人のお医者さんがびっくりしたように声を上げる。

「なぜそんな細かいことが分かるんです!? 顕微鏡でも使わなきゃ、そんなの⋯⋯」

 確か『ヴァレンス』という名前のおじさんが、お医者さんに答えるように言った。

「ファディル少尉には、見えるんだ。顕微鏡でないと見えないレベルの様々なことが⋯⋯」

「う、嘘ですよね⋯⋯細胞なんて、肉眼で見えるわけが⋯⋯」

 ニクガンとかケンビキョーとかよくわからないけれど、お医者さんがびっくりしているらしいのはわかる。

「見てみろ」

 ヴァレンスが腕に巻きつけた小さな時計を見ながら、ウタリのお腹を指差す。

「肝臓が切開から三分六秒後、ちょうどに完全回復した」

 お医者さんたちが「おぉっ」とざわめく。

「本当に見えているのか?」

「あ、あり得ない⋯⋯」

「ファディル少尉殿の目は顕微鏡でありますか?」

 どっと笑い声が起きる。楽しそうなのに、みんなの顔は怖がっているようにひきつっている。

(お医者さんたち、怖い顔で笑ってる⋯⋯)

 ウタリは段々不安になってきた。

(楽しくなさそう。お店屋さんごっこはどうしたの? 本当にお料理してる?)

 ファディルがこちらをちらりと見るのを目の端っこに感じて、ウタリは彼を見た。赤い目が、ぼんやりと光を放っている。

「不安粒子、上昇──」

 ウタリを呆然と見つめながら、ファディルはそう呟き、急に少し明るめな声で言った。

「演習の要領は掴めましたか、皆さん」

 いつも棒読みみたいな喋り方なのに、いきなり柔らかくてはきはきした言い方になって、ウタリは目を見開く。よく見ると、ファディルは口元にうっすらと笑みを浮かべていた。まるで、さっきまでとは別人のようだった。

(ファディル、いっつも笑わないのに、何でにこにこしてるんだろ)

 ウタリには、それが作りものの笑顔に見えた。お医者さんたちの顔は、さっきよりももっとこわばっていた。

 ファディルがヴァレンスのほうを見て、微笑みながら訊いた。

「どうですか、衛生隊長殿」

 ヴァレンスが「だいたいのことはわかった」と答え、お医者さんたちを見回す。彼らは苦笑いしながらも頷いた。

 ファディルがウタリのほうを見て、笑顔を浮かべながら明るい元気な声で言った。

「お待たせしました! お店屋さんごっこをはじめますよ!」

 ファディルはお医者さんたちのほうを見た。彼らはいきなり始まったお店屋さんごっこに困惑しているようだった。

「お店屋さん、ごっこ?」

「何です、それ⋯⋯」

「医薬品と事前に、お店屋さんごっこをする約束をしていたのです。あなたたちはお店では料理を召し上がるお客様役になってください」

 お医者さんたちは納得したのか、ちょっと困ったような顔をしつつみんな頷いた。

「ああ、そうだったのですね」

「わかりました。俺ら、お客さんなんですね」

「ははは⋯⋯っ」

 ファディルのあまりの変わりように、ウタリは眉をひそめる。

(こんなの、ファディルじゃない。でも⋯⋯)

 ウタリはお医者さんたちのほうを見た。彼らはさっきよりも楽しそうににこにこ笑っていて、ウタリも段々と不安が薄れていくのを感じた。

(お店屋さんごっこ、やっとはじまるんだね)

 ファディルはたぶん、店員さん役をやるためにわざと声を明るくしたり、笑ったりしていたんだ、とウタリはなんとなくそう思う。

(明るいファディル気持ち悪いけど、暗いお店屋さん、みんな嫌だもんね)

 ファディルがちらりとウタリを見る。口元は笑っているのに、目だけ笑っていなかった。

「不安粒子、低下⋯⋯」

 と、ファディルの呟く声が聞こえた。
 ファディルはお医者さんたちのほうを見て、またにっこりする。

「まずはお料理の試食からはじめます!」 

 お医者さんたちの困惑するような声が聞こえた

「試食?」

「何を?」

 ファディルはウタリのお腹の中から小さいお肉をつまみ上げて、ぱくりと食べる。お医者さんたちが手を止め、びっくりしたように声を上げた。

「うっ、うわぁっ!」

「少尉殿っ、ええぇっ」

「嘘だろ⋯⋯っ」  

 ファディルは音を立てずにお肉を食べると、微笑んで味の感想を言った。

「甘いです。マンゴーのような味です」

 お医者さんたちは目をまんまるにしたり、頭を手で抱えながらそれぞれ呟く。

「はぁぁ?」 

「⋯⋯ありえん、ありえん」

「おいおい、やばいだろ⋯⋯」

 ファディルはそっと口元に人差指を添え、お坊ちゃまみたいに優雅な声色で言った。

「お客様、店ではお静かに願います。では衛生隊長殿、次よろしくお願いします」

 ヴァレンスが無言で頷き、ウタリのお腹の中に手を突っ込む。

「え、ちょっと、隊長殿っ!?」

「何を⋯⋯っ」

 ヴァレンスは摘み上げた肉を見て、言った。

「では、味見させて頂きます」

 ぱくり。お医者さんたちは何も言わずに、ヴァレンスがもぐもぐするところを見つめる。

「⋯⋯うまい」

 お医者さんたちからは、笑顔がすっかり消えていた。

「では、次はお客様がたの番です」

 今度は、お医者さんたちにお肉が配られた。みんな、手を震わせていたけれど、ファディルとヴァレンスにじっと見つめられて食べなきゃと思ったのか、しばらくしてからやっと、ぱくっと食べた。

 今にも泣きそうな顔で肉をもぐもぐしていたお医者さんが、びっくりしたように目を丸くする。

「⋯⋯ほんとだ、うまい」

「マンゴー味。ほんとにマンゴー味だ」

「え、ウタリちゃんの内臓ってフルーツ?」

「何だこれ。食感は肉なのに、味はまんまマンゴーだ」

 お医者さんたちは、びっくりしたようにお互いを見つめ合いながら、それぞれ感想を呟く。

「内臓は再生しますので、どんどん召し上がってください」

 お医者さんたちの喉がごくりと鳴った。

 ファディルはウタリのほうを見て、優しいうっとりするような声で言った。

「医薬品もみなさんにどんどん食べてほしいそうですよ、ね?」

 ファディルはそっとウタリの髪の毛を撫でてくれた。なぜだか、急にほっぺたが熱くなる。

 うん、って言えなかったけれど、ウタリは代わりににっこり笑って頷いた。

「食べなければ医薬品が退屈します。さぁ、遠慮せずに召し上がってください。あなたたちはお客様なのですから」

 お医者さんたちがウタリのほうを見ながら、戸惑い気味に笑う。

「なら、どんどん食べなきゃな」

「ありがとう、頂きます」

 それからファディルはウタリのお肉を次々と切り取って、お医者さんたちに配った。彼らは舌鼓しながら、どんどんもぐもぐ食べる。最初は切れ端だけだったのに、銀のお皿にどんどん山盛りされていく。

 美味しそうに食べるみんなを見て、ウタリは段々と胸が弾むような気持ちになってきた。

(みんな、よろこんでくれてる⋯⋯ウタリ、美味しい? よかった!) 

 お医者さんたちは口を真っ赤にして、くちゃくちゃ美味しそうに内臓を食べてくれている。嬉しいな、嬉しいな。

「美味しいよ、ウタリちゃん」

「ありがとう」 

 ファディルの呟く声がした。

「食人行為の心理的抵抗、払拭完了」

 ◆ ◆ ◆

 ファディルは『観測業務日誌』を開き、演習手順の項目を開いた。

「演習事項、第三まで完了⋯⋯」

 第一、演習手順の伝授。

 演習内容

 一、基礎再生観察(体構造):臓器位置、血管走行、筋構造の観察。

 二、基礎再生観察(切開):皮膚・筋・臓器の単純切開と再生の逐次観察。
 三、死体組織投与再生観察:腐敗臓器・肉片を体内投与し再生速度を測定。

【第二】

 衛生兵たちを演習で十分慣れさせる。その際、衛生兵たちに顕微鏡を通さなければ確認できないはずの再生過程を、秒単位で言い当て、それが実際に完了する瞬間を目撃させる。彼らにこの奇跡の瞬間を共にしたという事実を共有させれば、その後の作業における私への従順性を確実に高める。目撃は最良の条件付けである。

 医薬品に不安粒子が発生次第、または衛生兵たちの精神安定粒子が一定に達した際に「お店屋さんごっこ」を開始。私と医薬品は店員役、衛生兵とヴァレンスはお客様役とする。自分、次にヴァレンスの順で先行試食し、権威付与と同調圧力で参加を促す。

(※ヴァレンスは事前に医薬品の血液を試飲、心理的抵抗は払拭済み)これにより責任の希釈が起こり、罪悪感と精神的負担を低減。子供を巻き込むことで「献血体の緊張緩和」という建前が成立し、衛生兵たちは与えられた役割を積極的に演じる。

【第三】

 摂取量の漸増。精神的負担の指標を監視しつつ、内臓試食量を段階的に増やし、衛生兵たちに報酬快感を植え付ける。これにより、肉の摂取行為そのものを報酬と認識させる。

 医薬品の血肉はフルーツそのものの味であり、鉄臭さ、生臭さは全くない。舌に残るのは甘い果実の香りである。この味覚特性は心理的拒否感を急速に低減し、試食を快感として記憶させる味覚条件付けとなる。

【第四】

 衛生兵たちに腐肉と生き肉を医薬品の切開部に投与させる演習を実施。

 この際、投与した衛生兵には報酬として医薬品の肉を与え、投与行動と快感の条件付けを行う。次段階として、「最も多く人肉を投与した者」には上位報酬(最も快感指数が高かった臓器)を付与し、競争強化フェーズへと移行する。これにより投与行動の習慣化が進み、最終的には報酬なしでも自発的な投与が常態化する。

【第五】

 再生ループ確立、大量採血。壊死組織投与で再生ループを維持し、大量採血。全量を負傷兵へ投与し再生を記録。

【備考(リスク対策】

(1)医薬品は他人の表情、声に敏感。医薬品の不安、緊張感状態は衛生兵たちに伝播、罪悪感を増幅。不安粒子上昇時は即「お店屋さんごっこ」開始。 

(2)医薬品が乾燥状態に陥った際の恐怖記憶は、事前実験によって意図的に抑圧してある。解剖と採血を伴う「お店屋さんごっこ」に、自発的に加わるよう誘導済み。医薬品とは事前に「お店屋さんごっこ」をすると契約してあり、衛生兵たちに合意を開示することで開始の唐突さを消す。衛生兵たちの参加導入難易度を低下させ、罪悪感は効率的に緩和され、搾取作業への心理的抵抗は最小限に抑えられる。

(3)アリフ隊の衛生兵たちは以前の医薬品乾燥状態により罪悪感を保持。放置すると内部告発(「少女の血の使用」)リスク。「お店屋さんごっこ」における試食で罪悪感の脱感作を徹底。 

(4)衛生兵たちに医薬品の肉を食べさせることで、解剖や人肉の試食も全員で行ったことによる安心感が生まれる。この共有は、裏切れば自らも裁かれるという暗黙の連帯と同調圧力が生じ、内部告発の衝動を鈍らせる。(彼らが人肉を嫌悪する理由は不明だが、内部告発防止のため抵抗を除去することが重要である)

(5)本格運用では医薬品の多大なる外見損耗により衛生兵たちの心理負担が増大。事前の習慣化で従順性を維持。本格運用時の作業員として従事させる。

(6)「献血機関計画が水泡に帰す」事態を避けるため、以後参加者の囲い込みを継続。

 ファディルは『観測業務日誌』を閉じ、顔を上げた。

 ヴァレンスと衛生兵たちは銀皿に盛られた医薬品の肉をフォークで刺し、夢中で口に詰め込んでいる。口の周りが血でベタベタになっている。飢えた犬が死肉に群がっているようで、滑稽だった。生体反応粒子は全員、快感指数が七十パーセント以上を越えている。 

 衛生兵たちは連日不眠不休で医療行為を行っており、重度の疲労に襲われている。この条件下では甘味の快感は依存性を急速に高める。

 備蓄食料に甘味などないため、果実の味がする医薬品の肉は彼らにとってこの上ない褒美となる。

(報酬快感植え付け、成功)

 最初に医薬品の肉の試食で快感を与える。次に、与えた快感を条件に変える。そして最後に上位報酬をちらつかせれば、人間は進んで自分の良心を殺してくれる。

 人間とは実に適応能力の高い生き物である。戦争という環境に適応するために自ら倫理観を捨て、殺人機械に変身する。ファディルは人間が持つこの高度な適応能力を利用し、衛生兵たちを献血機関機関作業員に精神改造した。

 脳内記録にある執事の発声音域と発音構成を模倣して、ファディルは訊いた。

「皆さん、美味しいですか?」

 衛生兵たちは答えず、咀嚼しながら頷くだけだった。もはや思考を放棄し、餌を貪る家畜同然であった。 

「では、たくさん味わったところで⋯⋯次の演習を行います」

 演習第四段階。

 衛生兵たちは一人ずつ、バケツに山盛りにされた壊死組織を、医薬品の切開部へと投げ入れていく。

 壊死組織を入れると、肉片や臓器の断面がひくひくと蠢きながらゆっくりと再生していった。新鮮な肉物に戻った組織は液体状に溶けていき、医薬品の切開部へ流れ込んでいく。

 切開部に溜まっていた血液のかさが増して溢れ出し、床に垂れ落ちていく。人肉投与で血液が余剰生産されたのだ。果実の甘い芳醇な香りが部屋に満ちた。

 ファディルは、再生時間を『観測業務日誌』へ記録しながら、壊死組織を投与した衛生兵に医薬品の肉を報酬として配布した。

 投与、記録、報酬。その流れはバケツに満載された肉塊が尽きるまで、何度も繰り返された。

 ──報酬による条件付け、成功。

 続いて、上位報酬による競争強化フェーズへ移行する。

 より多く壊死組織を投与した衛生兵に、試食時に最も快感指数が高かった高級食材『肝臓』を与える。とろけるような食感、ほんのり甘く、濃厚な脂のコクが舌に絡みつく逸品だ。皿の上で光沢を放つ赤い塊は、もはや報酬というより褒美だった。

「一番多く壊死組織を投与したお客様には、ご褒美に肝臓を差し上げます」

 衛生兵たちの目に、ぎらついた光が宿る。理性の奥から這い出してきた原始的な欲望と、他者を出し抜く競争心が、一斉に芽吹いた。

 彼らは競うように、玉入れのような動作で壊死組織を医薬品の切開部に投げ込み始めた。

「負けねぇぞっ」

「肝臓もらったぁ!」

 先程まで暗い表情を貫いていたヴァレンスも、一片して微笑みを浮かべ、両手に掬った壊死組織をぽんっと切開部に入れていた。

 医薬品は声を出せないものの、拘束された両足をばたつかせて楽しげに笑っていた。

 ──競え、犬ども。

 玉入れならぬ『肉玉入れ』を無表情で見つめながら、ファディルは内心で冷たく微笑む。

 一番多く壊死組織を入れたのは、意外にもヴァレンスだった。人道が、人道がとほざいていたあの外道が、人が変わったように玉入れに勤しみ、堂々一位を獲得した。

「はい、どうぞ」

 皿上の肝臓を見たヴァレンスの濁った瞳に、獲物を得た獣のような光が宿る。

 ヴァレンスは肝臓をフォークで刺し、豪快に噛みついて肉を引き千切る。脂ののった血がヴァレンスの口から滴ると、各人がごくりと唾を飲んだ。

「次は最後の演習です。第三衛生壕にいる全ての負傷兵のために、大量採血を行います。あなたがたの行いが、多くの兵を救うのです」

 以前から『何千何万の命を献血機関で救う』という大義名分を与えられている彼らは、使命感に満ちた眼差しで頷いた。

(何千何万の命を救えと私に命じる調和の数式よ。これでよろしいのですか?)

 先ほどから頭の中に調和の数式が浮かんでいた。今回は数式の中に混じっているのではなく、変数の羅列のみが浮かんでいた。まるで何かを主張するように──

(あなたの掲げる大義名分に、私も頭を下げるしかありません)

 救いたいのは何千何万の命ではなく、ノリ一人だけの命なのに。

 残り五個になったバケツを医薬品に全投与する。彼らは報酬がなくても、黙々と壊死組織を医薬品の切開部へ詰め込んでいく。調教された犬どもは、投与を短時間で習慣化したようである。

 衛生兵たちは再生ループ状態になった医薬品の各部位の動脈を切開し、血飛沫を空になったバケツに溜め込んでいく。再生したら、また切開してバケツに血を溜めての繰り返し。

 腹部の切開部に積み上げられた壊死組織は煮崩れるように溶け、体内に染み込んでいく。白濁した液が滲み出し、そこから新しい血肉が泡立つように発生する。

 ファディルは血肉が再生する速度を眼で観察しながら、日誌に記録を書き殴る。

「素晴らしい。これが『献血機関』ですか⋯⋯」

 痺れるような快感が全身を駆け巡っていた。

 医薬品は飽きたのか、退屈そうに天井を見上げて声にならない歌を歌っていた。

 突如、切開部から白い泡が泡立ちはじめた。

「⋯⋯?」

 泡の塊は上に向かって、芽が伸びるように左右に先端をくねらせ大きくなっていく。 

「なっ⋯⋯」 

 生き物のように成長していく泡の塊に意識を奪われ、ファディルは呆然と立ち尽くす。衛生兵たちも、声を上げずにそれを見つめていた。

「なん、です⋯⋯」

 天井に向かって拡大する泡の塊の上半分が、下向きに折れ曲がる。

「⋯⋯」

 泡が徐々に形を整え、だんだんと人間の足へ変形していく。

「足⋯⋯?」

 大人の男性の、大きな片足だった。真っ白出来立ての綺麗な肌なのに、すね毛がごわごわ生え揃っている。

 生えた片足の根元が何かに切られたように切断され、千切れる。

 ──⋯⋯ごとり。

 重く鈍い音を立てて、それは床に落下する。

 また泡の塊が伸び出し、今度は大人の腕が、目玉、内臓が次々と出来上がり、切開部の縁から千切れて零れ落ち、床に落ちた。

(細胞組織の急激な増殖⋯⋯人体組織、錬成⋯⋯)

 理性の糸が切れたように、一人の衛生兵が絶叫し、白目をむいて卒倒する。他の者たちは倒れた衛生兵に目もくれず、生まれた新しい部位を無表情で見つめていた。

 余剰生産された血液は、第三衛生壕の負傷兵たちに全投与された。

 手足を切断した者たちには、足湯のように血のバケツに断面を浸させた。一時間後、日を浴びたことがないような真っ白な手足が生え出し、彼らはふらつきながらも歩行した。

 目を失った者たちには、穿った眼窩に血を注いで眼球を蘇生させた。蘇った眼球はガラス玉のごとく美しく、視力は通常レベルであった。

 血が通っていないかのように白い両足で、負傷兵がよたよた壁伝いに歩く。彼は涙しながら、嬉しそうに声を上げる。

「俺⋯⋯歩ける⋯⋯っ」

 目が治った者は、まるで世界を始めてみた動物の赤ん坊のように辺りを見回し、瞳を輝かせていた。

「見える! 見えるよ!」

 その日、第三衛生壕の全ての重傷者が完治した。

 だが、中には──

「おい! 治してくれよっ! どうなっているんだよこの足!?」

 バケツに浸した足の断面から、歩行不可能な細さの二本足がひょろりと伸びる奇形も発生した。その見た目は、先端が二本に分裂した大根のようであった。

「我慢だ、我慢」

 彼をなだめるように、ガマン軍医が奇形化した足を眺める。

 奇形化は、ファディルに新たな課題を残した。

(血を浸して人体部を生成する超高速再生法は、皮膚組織蘇生プロセスに重大なエラーを起こす。いい失敗作が生まれてくれて助かりました)

【観測記録 ナンバー12】『失敗作』 再生開始部位の断面形状が楕円形を呈していたため、中心軸が定まらず左右に再生誘導されたものと推定。 今後の再生実験では切断面の中心軸矯正が必須。

 失敗作と観測業務日誌に記録された負傷兵は、顔を両手で覆って泣きじゃくっていた。我慢だ我慢、と軍医の声が虚しい響きを伴い聞こえる。ファディルは失敗作を一瞥し、内心で感謝を述べた。

(あなたも必要な犠牲です。感謝致します)

 我慢だ、我慢──その言葉に縋るように、三本足の奇形兵は震えながら膝を抱えた。

 彼の膝は、四箇所あった。
   
 ──それでよい。

 どこからもなく老人の声が聞こえて、ファディルは立ち止まり、周囲を見回した。

 ──お主は、神の『最適解』に従うだけでよい。

(何だ⋯⋯?)

 気のせいか。だがどこからか、確かに老人の声がしたのだ──。

 傍目には、これは救済行為にも見えるかもしれない。

 大量の血が、この壕の中で苦しむ負傷兵たちを救う命の水になる。

 だがそれを支えているのは、無垢な少女の身体を「装置」として搾取し尽くす行為に他ならなかった。

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